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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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ボイスンの子供
2007年6月11日(月)
下界に降りて来た

 今日は移動日。
 タジキスタンに抜けられなかったので、ボイスンからサマルカンドへウズベキスタン国内を北上します。

 おじいちゃんが、俺がタジキスタンに抜けられなかったのは自分が付いて行かなかったせいだ、と勝手に思い込んでいて、「今日こそは途中まで送って行く」と言う。
 金銭的にも負担になるだろうから、必要ないと言ったのだが、言うことを聞かない。
 結局、おじいちゃんが乗合タクシーで3時間も離れたカルシまで送ってくれることになった。
 ちなみに、ウズベク語でおじいちゃんのことを『ボボ』と言うので、俺もボボと呼んでいます。

 ボボに連れられて、一路カルシを目指す。
 途中で乗り換えたりして、3時間半以上掛かった。
 ようやくカルシに到着し、サマルカンド行きの乗合タクシーに俺を乗せ、他の乗客たちに「この日本人をよろしく頼む」みたいなことを言って、ボボはボイスンに帰って行った。
 すごい気を使ってもらっちゃって、こっちが恐縮してしまう。 ボボは、本当に俺を送るためだけに3時間半も掛けてカルシまで来たのだろうか?
 ついでだったら良いんだけど。

 カルシから、ウズベキスタンで最も有名な観光地サマルカンドまでは、2時間弱で着いた。
 ボボに「彼をレギスタン広場まで連れて行ってやってくれ」と言われていたので、運ちゃんもきちんと俺をレギスタン広場の真ん前まで連れて来てくれて、助かった。

 今回のウズベキスタンで、ボイスン滞在が一番ウズベキスタンを体感できたかな?と思う。
 今度、機会があれば祭りの時期に行って、踊りを見てみたい。 無形文化財に指定されたくらいだから、エレクトロニクス系のピコピコ電子音に合わせたハードな踊りが見れるんじゃないかなぁ〜?って期待してます。

 サマルカンドでは、某有名安宿に宿泊することに。
 イランのエスファハーンで会ったことのあるベルギー人のチャリダーや、イギリス人のチャリダー、ヌクスで会ったベルギー人などに再会。
 チャリンコで旅行している人の方が、俺より先に来ているというのはどーいうことなのでしょう?
 ちなみに、俺と同じルートでトルコからシルクロードを通って東に向かっている日本人の知り合いも何人かいるが、全員に追い越された痕跡を発見した。

 写真は、川底で出会ったボイスンの子供。 眉間にシワを寄せながら歩いていました。 多分、昨今の近隣諸国との緊迫した政治問題に憂慮しながら歩いていたと思われます。

旅の出費
宿代(1泊分): 5,000スム
市内マルシュルートカ: 500スム
乗合タクシー(ボイスン→ダルバンド): 1,500スム
マルシュルートカ(ダルバンド→カルシ): 4,000スム
乗合タクシー(カルシ→サマルカンド): 4,800スム
合計: 15,800スム(約1,450円)

“砂の広場”レギスタン広場 in サマルカンド
2007年6月12日(火)
青の都

 ぶらっと散歩をしてみた。
 宿の直ぐ近くに、サマルカンド観光のハイライト『レギスタン広場』(写真)がある。 三つの巨大マドラサ(神学校)が並ぶ広場だ。

 サマルカンドが“青の都”と呼ばれたのは、いにしえのティムール朝の時代。
 13世紀にユーラシア大陸を席巻したモンゴル帝国だったが、徐々に分裂を始め、5代目フビライ・ハーンの後は勢力も衰えていった。
 東では『明』が建国され、西ではティムールが『ティムール朝』を建国。 サマルカンドを首都にして勢力を広げ、インド侵攻、シリアのダマスカス略奪、トルコのアンカラではオスマン帝国を破り、破竹の勢いで領土を広げ、その最大勢力は現在の中国西部から中央アジア全域、さらにはアフガニスタン、パキスタン、イラン、カフカス3国、イラク東部、トルコ東部まで及んでいた。
 しかし、わずか建国から35年後にティムールは明への遠征中に病死。 一代で築いた巨大帝国だったが、ティームルが死んだ後は直ぐに分裂して、約100年後には滅びてしまった。
 だが、サマルカンドには帝王ティームルや歴代君主が築いた建築物が残っており、当時は世界最高水準だった天文台もある。

 ぶらっと散歩したと言っても、レギスタン広場の前を通って「へ〜」と写真を何枚か通っただけで、他は何も見ていないのだが、写真を撮った時にまた事件が起こってしまった。
 数枚写真を撮って、縦にマドラサを撮った瞬間、またカメラの反射鏡がぶっ飛びました・・・

 そんなわけで、観光どころではなくなり、宿に戻って再手術。
 今度は強力接着剤でくっ付けてやろうと、他の旅行者からボンドを借りて反射鏡に接着剤を付けようと思って垂らした瞬間、押し過ぎてドバッと出てしまい、接着剤が反射鏡全体にくっ付いてしまった。
 もう、カメラとかどーでも良くなってきた・・・
 接着剤が全体に付いたまま反射鏡を付けたが、写真を拡大してみると汚いです。
 拡大さえしなければ分からないから良いけど。

 ある程度はクリアに写真さえ撮れれば、カメラは日本に帰ってから捨てます。

旅の出費
外食代: 1,700スム
インターネット: 300スム
合計: 2,000スム(約180円)

シールダール・マドラサ in サマルカンド
2007年6月13日(水)
活発過ぎて、外出出来ず

 いかに俺がアグレッシブな旅行者か?を裏付けるかのごとく、今日は一歩も宿から外に出てやらなかったぜ!
 あっ、タバコを買いに近所の商店に行ったから、一応外出はしたな。

 宿の中庭でボケー&ダラダラーっと1日を有意義に過ごしてみました。
 現金がないから、ウズベキスタンなんてさっさと出てATMのある国に移動しないとやばいんだけどね。 宿代を払えば、全財産100USドルを切りそうな気配でリッチな気分に浸っています。
 リッチな気分に浸ったついでに、1泊6USドルのドミトリーから、1泊10USドルのトイレ・シャワー付シングルに移動してみました。 「5泊するから1泊9USドルにまけてくれ」と値切ったは良いが、5泊×9USドル=合計45USドルが消えるという大事なことに後で気が付きました。
 俺ってA型だから、几帳面だよねぇ〜。
 毎日、お小遣い帳は付けているものの、あと幾ら残っているか?とか、今日はこれだけ使ったから明日はこれぐらいに押さえて・・・とかは一切興味がないという、お小遣い帳が全くもって役に立っていない繊細さがスーパーA型って感じ。

 ちなみに、ボケーっと暇そうにしていたら「観光しないなら日本に帰ればいいのに」と他の旅行者に言われちゃいました。
 その人は分かっていない・・・俺が現時点で日本に帰国途中であることを。 「帰ればいい」っていうか、現在進行形で帰ってる途中だし! この旅の最大目的は観光旅行ではなく、日本に本帰国している最中の移動旅行だから、観光は無理してしなくていいの。 でも移動も嫌いだから、移動も無理してしなくていいの。
 移動の途中ついでに観光してやって、サマルカンドだってありがたいと思っているはずである。
 それに、実は自分の中では「俺って、けっこう観光してる方じゃねーか?」と思っているのも事実である。

 写真は、昨日撮ったレギスタン広場内のシールダール・マドラサ。 イスラムの教えでは偶像崇拝が禁じられているのだが、このマドラサの正面アーチにはライオンの絵が描かれており珍しい。

旅の出費
タバコ: 650スム
合計: 650スム(約60円)

ティムール像とアク・サライ in シャフリ・サブズ
2007年6月14日(木)
ティムールの生まれ故郷

 誘われたから外出することに。
 サマルカンドの南90kmのところに、ティムールの生まれ故郷シャフリ・サブズがある。
 そこに3人で行くことになった。

 サマルカンドさえ見ていないのに、日帰り観光で近郊の町に行くのはどーかな?とも思ったが、1人だったらシャフリ・サブズなんて絶対に行かないから調度良かったかも知れん。

 何があるのか?よく分からないまま行ったが、実際に行ってみてから言えば、わざわざ行かなくてもいいんじゃね?
 なんかね、ティムールの銅像があった。
 その後ろに、『アク・サライ』というティムールが建てた夏の宮殿の門の“一部”が残ってた。
 へ〜って感じ。
 あとは、ウズベキスタンでは飽きるほど見た緑色のドームのモスクがあったよ。

 頑張って2時間ほど滞在したが、3人が3人共「飽きた」ということで帰ってきました。 2時間の観光をするのに、往復4時間掛かりました。
 サマルカンドに帰ってきてから、速攻で生ビールに走る現実逃避っぷりで、充実した一日でした。

旅の出費
タバコ: 1,850スム
ビール: 1,200スム
外食代: 1,000スム
乗合タクシー(→シャフリ・サブズ): 4,000スム
乗合タクシー(→サマルカンド): 3,800スム
合計: 11,850スム(約1,090円)

町で見かけたジュース売りの屋台
2007年6月15日(金)
そして今日もハイペース

 昨日の超過密スケジュールな観光のせいで、一気に残っていた“やる気”を放出してしまい、珍しくダラダラ・モードに入ってしまった俺は、今日も終わってみればインターネットをしたことと、ビールを沢山飲んだこと以外は何もやっていないことに気が付いた。
 まぁ、偶にはこんな日があっても良いと思います。

 しか〜し! 気が付けばサマルカンド滞在5日目が終わろうとしており、シャフリ・サブズに日帰り観光した以外は、レギスタン広場の前を通り掛かりに写真を撮っただけという、ハイペースぶりに危機感を持ったのも事実。
 やっぱり、何か見た方が良いよね?
 ティムールが祭られている霊廟とかあるらしいよ、宿の近くに。 中央アジア最大のモスクが徒歩5分の場所にあるらしいよ、宿から。
 全っ然、興味ねー!!

 ところで、トルコのイスタンブールで出会い、イランのエスファハーンで再会した日本人チャリダーに、今日また再会した。
 彼と同じ速度で旅行しているということは、イコール俺も『チャリダー』を名乗っても良いのではないか?と思うのですが、如何でしょう?
 とりあえず、適当にチャリンコのタイヤ・チューブでも持って旅行してれば、『チャリダー』を名乗ってもバレないんじゃね?

 写真は、町中で見かけたジュース屋さん。 見た感じは、工業水を売りさばいているようで怪しさ満点です。
 ウズベキスタンで売られているジュースの多くは「着色料何号ですか?」と尋ねたくなるような、恐ろしい色使いのケバケバしいジュースが多くて、飲み過ぎたら早死にしそう。

旅の出費
ビール: 4,900スム
インターネット: 800スム
合計: 5,700スム(約520円)

コクシ in ウズベキスタン
2007年6月16日(土)
非常事態発生!

 昨日の深夜、フッと胸騒ぎがして目を覚ました。
 んー、何かが気に掛かる。
 そこで、パスポートを取り出して見てみました。

 ・・・・・・

 もしも俺がアメリカかぶれだったら「Oh, Jesus!!」と頭を抱えたことでしょう。 もしも俺がタイ女にはまった馬鹿男だったら「オ〜イ、トックチャイ・ルーイ!」と驚いたことでしょう。 もしも俺がダニ族だったら、コテカ(ペニス・ケース)を指でピンピン弾きながら豚を丸焼きにしようとしたことでしょう。
 長々と分かりやすく例を挙げてしまったが、それくらい驚いてしまった。

 ウズベキスタンのビザが、今度の水曜日に切れるみたいです、俺!!
 こ、これはマズイかも知れないぞ!

 話を昨日の夜に戻そう。
 他の旅行者との会話;
 「これからどうするの?」
 『週末は移動したくないから、宿泊を延長してサマルカンドにもう少しいる。 その後は、首都タシュケントに移動してカザフスタンと中国のビザを取って、それからカザフスタンに行く』
 「カザフスタンのビザは取得にどれくらい掛かる?」
 『知らないけど、翌日には取れるんじゃね?』

 って、サマルカンドに延泊してる場合じゃないし!
 慌ててガイドブックを開いてみると・・・カザフスタンのビザは取得に2日、中国のビザは取得に5日だって。
 し、しらなかったぜ! A型らしい繊細さが思いっきり出てしまったようだ・・・

 とりあえず中国ビザは諦めるとして、問題はカザフスタンのビザだ。
 来週の月曜日に申請したとしても、受け取りは水曜日の夕方。 その水曜日には出国しないといけないから、これも無理だ・・・
 ん? 金を3倍払えばエクスプレス・サービスで即日発給が可能?
 う〜む、これしか道はないようだ・・・

 5USドルが、15USドルになるだけなんだけど。

 まぁ、最悪は日本人がビザ無しで入れるキルギスタンに逃げるという手もあるのだが、俺は自分の中で決めた“美しいルートで旅行する”という無駄&意味のないこだわりがあるので、キルギスタンの後にカザフスタンというルートは有り得ない。
 なぜなら、それでは美しくないからだ。
 他の旅行者に、その美しさを説明しても誰も理解できないようなので、きっと日記を読んでいる人にも理解できまい。
 次元の高い域に達しないと、俺の中の“美しいルート”は理解出来ないのである。 どれくらいの次元の高さなのか?を分かりやすく言えば、日本商工会議所ペニス・ケース検定で1級は必須である。

 そんなわけで、急遽旅立つことになってしまった。
 全くサマルカンド観光はしていないが、この際は「致し方ない」ということにしておこう。
 駅に行って、明日の首都タシュケント行き列車のチケットを購入。
 旅行者がよく使うのは午前11時台の列車なのだが、それがよりによって満席!! だから、週末の移動はしたくなかったんだよ・・・とブツブツ文句を言いながら、早朝7時台の列車チケットを買った。

 早朝7時に列車が出るということは、何時に起きないといけないのだろう? もしかして・・・5時台とか?
 中央アジアに入ってから最大の難関である。

 写真は、ウズベキスタンのコクシという食べ物。 ラーメンっぽくて美味しそうでしょ?

旅の出費
市バス: 400スム
ビール: 1,900スム
宿代(6泊分): 10USドル+59,450スム
列車チケット(→タシュケント): 5,800スム
合計: 10USドル+67,550スム(約7,340円)

ロシアのカップラーメン『ビッグ・ランチ』
2007年6月17日(日)
タシュケント

 ↑このロシアのカップラーメン、美味しいよ。
 麺が生麺っぽくて、お気に入りのラーメンです。 名前は『ビッグ・ランチ』。 一度、お試しあれ。
 ロシアで初めて食って、けっこう好きになってしまったのだが、ロシア以降はあまり見かけなくなった。 グルジアでも散々探し回ったんだけどね。 それが、今日はタシュケントのスーパーマーケットで発見して、ついつい買ってしまった。
 難点は値段が高いこと。 ウズベキスタンでも、他のラーメンの2倍の値段がしていた。 それでも1USドル強なんだけど。

 今日は、午前6時前に起床。
 準備を整えて、タクシーで駅に向かい列車に乗り込む。 列車は予定より早い7時15分に出発。 予定より早いって、どういうこと?
 5時間半で、首都のタシュケントに到着。

 いつも、新しい町に行く時は「今度はどんな町なんだろう?」と想像する。
 中央アジアに入ってから、その想像が裏切られることが多い。 最初はトルクメニスタンの首都アシュガバードだった。 中央駅を降りた瞬間、「あれ、降りる駅を間違えた?」と思ったほど緑豊かで、一国の首都にある中央駅とは思えない風景だった。 サマルカンドでも裏切られた。 ウズベキスタン第二の都市で工業都市としての側面も持っているという知識があったので、それなりの想像をしていたのだが、実際に着いてみると緑が豊かで驚いた。 全くゴミゴミしておらず、全くもって都会っぽくない。
 タシュケント駅に降り立った時も、少し裏切られた。 人口230万人のウズベキスタンの首都で、中央アジア唯一の地下鉄が走る町と聞いて、それなりの想像をしていたのだが、駅の正面に立ってみると「?」。 ちょっと寂しくないですか?と、拍子抜けした。 もちろんタシュケントの中心は別にあって、俺が勝手に「首都の駅前だから、それなりに・・・」と決め付けていただけなんだけど。

 タシュケントもある程度の期間はいたかったのだが、それもビザの期限が迫っているから無理。 水曜日のカザフスタン入国に間に合うように、明日からビザ取りに精進します。

 今日で、ケープタウンを発ってから17ヶ月が経過した。 この1ヶ月間で、トルクメニスタンとウズベキスタンの2カ国を回った。
 1ヶ月間の出費合計は、5万3千60円。 なんだか微妙に物価が安くなってるっぽいです。 宿代は高くなった気がしたんだけど、気のせいなのかな?

旅の出費
食費: 1,900スム
地下鉄: 400スム
タクシー: 2,000スム
合計: 4,300スム(約390円)





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