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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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ブハラの子供たち
2007年6月4日(月)
駆け込み観光

 明日にはブハラを出るので、急いで観光することにした。 実は、まだ直ぐ近所にありながら見に行っていない所が何ヶ所かあったのだ。
 ラビ・ハウズの目の前に泊まっていながら、ラビ・ハウズの回りにある建物を見たことがなかった・・・
 木が邪魔で見えなかったから。

 いやー、正直言ってブハラ7泊8日は辛いっす。
 やることがなくなってきちゃって。
 でも、これだけいながら行っていない観光名所も沢山ある。 まぁ、昔の偉い人の墓とかさ、興味ないじゃない? 昔はどれだけ偉かったか知らないけど、現代の俺には影響のない人だし。

 夜は、日本人旅行者3人と一緒に宿で食事をした。 内2人とはモイナック、ヒヴァでそれぞれ会っていて知っている。 ウォッカを1本買ってきて、グルジアで買った角コップで一気飲み。 最近、角コップの出番が多くて大活躍。 こりゃ、日本でも使えるね! 友達と角コップで日本酒でも飲むか。

旅の出費
タバコ: 400スム
食費: 4,450スム
外食代: 4,900スム
合計: 9,750スム(約890円)

川が氾濫して流された道路 in ボイスン
2007年6月5日(火)
無形文化財

 ウズベキスタンの南東に、ボイスン(Boysun)という町がある。 ロシア語表記にして読むと「バイスン」になるので、バイスンの方が通じやすい。
 この町は、南へ向かえばアフガニスタンとの国境の町テルメズ、東に向かえばタジキスタンとの国境がある。 山岳地帯にある小さな町で、日本語・英語を含めて見たどのガイドブックにも載っていない。
 何があるか?と言えば、実はこの地域は2001年に世界に19ヶ所あるUNESCOの無形文化財地域の一つとして指定されている。
 指定された理由は、伝統工芸と踊りなどを含めた伝統文化だ。

 見所が『無形』という所が若干気にならないわけではなかったが、なんとなく行ってみることにした。 最初にモイナックで知り合った日本人、最初にヒヴァで知り合った日本人の合計3人で一緒にボイスンを目指す。
 乗合タクシーでブハラからカルシ(Qarshi)という町まで行き、そこから乗合タクシーを乗り換えてバイスンまで行く。 事前にブハラからバイスンまで合計4時間くらいで行けると聞いていたのだが、そう簡単にはいかなかった。
 カルシからバイスンまでは3時間ほどの距離なのだが、昨日からの大雨で途中の川が氾濫して車が通れなくっていた。 しかも、バイスンの町まであと10kmほどの距離なのにだ。
 ガーン!
 道路が川状態になっていて、人の頭の2〜3倍はあるような大きな岩がゴロゴロ転がっている。 完全に“川底状態”だ。 昨日はもっと激しかったと思われるが、今日はまだ水位が弱まっていたので助かった。 でも、皆が車を降りて呆然としている。
 「いつ通れるようになる?」と聞くと、「多分、夜には・・・」との答え。 むむむ、どうなるんでしょう?

 1時間待った。 暇だ・・・
 直ぐに大型ダンプが来たのは良いのだが、中々通れるようにはならない。 最初は良かったが、徐々に待つことに飽きてきた。 今日はどこか近くの村まで引き返して、明日になってからボイスンに行っても良いかな?とチラホラと考え出した頃になって、ようやく普通車でも通れる状態になった。
 ところが、一度に通れる台数に限りがある。 当然のごとく対向車も同じように待っていたので、我先に通ろうとする。 ようやく200mほど進むと、また通行止めになった。 未だに道路脇を泥水が濁流になって流れているのだが、そのせいで道路が削られて崩壊してしまったらしい。
 また新たな難関の出現である。
 その場しのぎで土砂を積み上げて、車が通れるようになったのだが、車が通る度に土砂が崩れて、その度に直さないといけないようだ。

 ようやく通れた(写真)時には、既に合計3時間以上が経過していた。 でも、思っていたよりも対応が早くて感心したけど。
 ブハラを発ってから8時間半が経過した夕方6時に、ボイスンに到着。 町で唯一の宿に部屋を取った。

 その宿で、あるタタール人のおっさんと偶々知り合った。 彼は土木会社の社長をしているらしく、あるプロジェクトの関係でボイスンには7ヶ月滞在しているらしい。 彼と、その会社の従業員たちの部屋に強制招待され、ウォッカを飲まされる羽目に・・・
 本当は、8時間半の移動で疲れていて、とてもではないがウォッカを飲む元気はなかったのだが、結局は飲まされたのだった。
 おっさんは元々は軍にいて、それなりに偉い人だったらしい。 飲み会には、ボイスン地区の内務省軍のチーフも来て、カラシニコフAK-74の銃弾をジャラジャラしながらウォッカを飲む怪しい雰囲気。
 深夜になって、ようやく解放。

旅の出費
外食代: 3,900スム
宿代(1泊分): 2,000スム
市内マルシュルートカ: 200スム
乗合タクシー(→カルシ): 7,000スム
乗合タクシー(→ボイスン): 13,500スム
合計: 26,600スム(約2,430円)

山道を歩く女性 in アモンハナ
2007年6月6日(水)
病気を治す水

 俺が寝ている間の午前中に、他の2人が別の宿を見付けてきた。 昨日の夜に泊まったホテルは、値段は激安だが、布団はジメジメしていてダニがいたし、トイレはやたらと遠いし(尿意を催したら直ぐ行かないと、辿り着く前に漏らす)で、まったりは出来ない。
 新しく見付けた宿は、ホテルではなく民泊。
 UNESCOのクラフト・センターに行ったら、そこの所長らしき(?)お爺ちゃんに「うちに泊まりに来い」と言われて、見に行ったら全然良かったらしい。
 そんなわけで、俺は叩き起こされて、寝起きにいきなり引越し。

 実際に行ってみると、大きな家で居心地が良さそうだ。 お爺ちゃんも良い人で、ボイスン近郊の案内を無料でしてくれると言う。
 早速、ボイスンの町から20数km離れた所にある、アモンハナ(Omonxona)に行ってみることにした。
 ここへはタクシーで1人片道1,000スム(約90円)で行ける。

 アモンハナは、外国のガイドブックには載っていないが、ウズベキスタン内では有名な場所らしい。 ここの水を飲んだり、浴びたりすると病気が治ったり、健康に良いと言われているそうだ。
 ある意味、霊水的な扱いを受けている。
 場所は山を一つ入った場所にあり、周りを山々に囲まれて景色は良い。
 巨大な一枚岩の下が保養場のような感じになっており、岩場に多数のダブルベッドが置かれて、ウズベキスタン各地から来た人たちがまったりしている。
 水を浴びるシャワー室(利用料:500スム)があり、ウズベク人たちが列を作っている。 体の悪い部分が治るそうだ。 さらには皆が大量のペットボトルに水を入れて持ち帰っている。 2リットルで500スムだそうだ。 飲ませてもらったが、体に良いかどうかは別として柔らかい口当たりで飲みやすかった。

 お爺ちゃんが、「あそこの山からの眺めが良い」というので、登ってみることに。
 ソ連のアフガニスタン侵攻の時に、お爺ちゃんも従軍したらしいが、アフガニスタン北部も同じような山だったらしい。 戦場で鍛えられたからか?お爺ちゃん歩くの速過ぎ! こっちはゼェゼェ言いながら登っているのに、お爺ちゃんは足取り軽くピョンピョン飛び跳ねながら登っている。
 「もっと上に行こう、もっと上に行こう」と言われるのだが、限がないので途中で「これ以上は登りません!」
 お爺ちゃんなんて、「あの山を越えればボイスンだから、歩いて家に帰ろう」などと訳の分からないことを言っていたが、「乗り物が大好きだから」という理由で断固拒否。

 アモンハナには宿泊施設も多数ある。
 サナトリアと呼ばれる保養所(国民宿舎と保養所がくっ付いたような感じ)が俺が見ただけでも3軒あり、1泊10USドルで泊まれる。 医者も常駐しており、3食付きが普通だそうだ。
 これで温泉があったら良いのに、と思うのは日本人だから?

旅の出費
食費: 400スム
タバコ: 700スム
生活用品: 3,500スム
タクシー代: 3,600スム
合計: 8,200スム(約750円)

まゆ毛が繋がっていれば美しい in ボイスン
2007年6月7日(木)
まゆ毛、それはビューティー

 ↑若いお母さんのまゆ毛に注目!
 確認はしていないけど、彼女は『こち亀』の愛読者&両さんのファンではありません。
 タジク人の女性は、まゆ毛とまゆ毛の間をマジック(?)で黒く塗って繋げたり、黒い刺青を入れて繋げたりしてます。 なぜなら、それが“美しい”からです!
 その上、歯が金歯だった暁には・・・
 一目惚れしちゃう!!

 女性の集団に出くわして、全員が全員してまゆ毛がピッキーン!って繋がってたりすると、新興宗教『まゆ毛教』の信者さんたちですか?みたいな感じで、無意識にまゆ毛の前にひれ伏すか、まゆ毛に向かって「ご機嫌うるわしゅうござるか?」と挨拶をしてしまう。

 そんな彼女たちにも、俺はゲラゲラと笑われてしまうのだった。 男なのに長髪だから。 トルコから東、中国までの間は全て『男は短髪!』が一種の掟みたいになっている。 そんなところでは、男で長髪=変態かオカマなのである。
 別に俺は変態でも何でも結構です。
 結構なのだが、まゆ毛が繋がってる人たちに「男で長髪、変だよ! ゲラゲラ」と笑われると、「おいおい、まゆ毛ピッキーン!のくせに」と思ってしまうのも事実である。
 例えば、俺が日本に彼女たちを連れて帰ったとしよう。 俺の長髪を見て笑う人の数と、彼女たちのまゆ毛を見て「ギャグですか?」と笑う人の数を比較してみたらどうだろう? 間違いなく、彼女たちのまゆ毛ギャグの方が俺の長髪ギャグよりもウケるはずである。

 文化が違うせいで、俺は完全アウェーの中を試合しているのだが、まゆ毛ピッキーン!の人たちに「変だ」と笑われるようになれば、それはそれで変態の真髄を極めたような錯覚に陥り、“変態マスター”に君臨しても良いとさえ思えてくる。

 ちなみに、ウズベキスタンでもまゆ毛ピッキーン!している女性たちはタジク人です。

 今日は泊まっている家の子供たちに絡まれて、散々遊び相手をさせられて、全然部屋でまったり出来なかった。 知らない間に「アタ(おじさん)」呼ばわりされているのに気が付いて、軽くショックを受けたりもした。
 親が俺と同じ年か若いわけだから仕方がないか。

 家のお爺ちゃんはお爺ちゃんで、うちらを連れ回したくてウズウズしている。 今日も夕方から散歩に(半強制)参加させられたのだが、道で会う人会う人に「うちに泊まっている日本人じゃ」みたいなことを言っている。 あまりにも同じことを言っているので、だんだんと何を言っているのか分かってきてしまった。
 とにかく自分の町を外国人旅行者に見せて回るのが楽しくて仕方がない&町の人に“うちに泊まっている外国人”を自慢したい風で、面白い。
 最初は1泊5,000スム(約460円)で素泊まりのはずだったのだが、知らない間に1泊3食付きになっていた。 良いんでしょうか?

 最後に、UNESCOのクラフト・センターに行ってみた。 ここは日本の援助も入っており、JICAもサポートしているようだが(隊員はいないけど)、ボイスン周辺の伝統工芸を地域発展に繋げようする取り組みの中心になっていて、小さな織物博物館も入っている。
 UNESCOのクラフト・センターと言っても、英語を話せるような人は皆無の上、ロシア語さえ理解しない現地の人たちで運営しているようだ。 ここでは、実際に絨毯や刺繍織物を織っている様子を見学することが出来る。
 ついつい俺も、小さいパスポート入れを買ってみた。

旅の出費
お土産代: 4,000スム
宿代(1泊分): 5,000スム
合計: 9,000スム(約820円)

老人 in ボイスン
2007年6月8日(金)
無形文化財ジーンズ

 ケープタウンを発ってから、ジーンズを2本ダメにした。 今、履いているのは2本目だが、両足のモモの部分がポケットに物を入れているせいで穴が開いているし、お尻も1ヶ所穴が開いている。
 最初の内は、さほど気にならない程度の大きさの穴だったが、最近は徐々に広がりを見せてきた。 モモに穴が開いていること自体は良いのだが、ポケットの生地がその穴からピョコっと出てきて格好悪い。
 そこで、UNESCOクラフト・センターに修理を依頼した。 しかも、UNESCOが世界で19ヶ所しか選ばなかった無形文化財であるボイスン特有の柄で織った布を使って。

 一応、変になったら困るので「この部分は、こういう形に布を使って縫ってくれ」と要望しておいた。 モモの部分も、出来れば左足と右足で違う柄の布を使って、違う形で縫ってもらうのが希望だった。

 夕方に取りに行ってみると、「あれ?」
 なんとなーく希望には沿った感じにはなっていたが、違う部分も多々。 まず、左足と右足で使われている布が一緒。 しかも同じ形で縫っていて、見た感じにも微妙。 さらには、「ここは縫わなくても良い」と言っていた、裾部分の穴まで縫われてしまっていた。 でも、使われた布自体の柄は良い感じだが。
 「縫ってくれ」と頼んだ時に、「新しいのを買えばいい」と言われた時点で、感覚の違いを心配していたのだが、まぁまぁ頑張った方である。
 う〜ん、まぁ仕方がないか・・・
 ちなみに、無形文化財の布を使ったジーンズの修理のお値段は・・・1,000スム(約90円)でした!

 もう少しでヒザの部分に穴が開きそうなので、そうしたら別の無形文化財で修理しよーっと。 「この箇所はウズベキスタンのボイスン織りの布で、この箇所は中国の・・・」と、ワールドワイドなジーンズになるのが、俺のジーンズの夢である。
 最終的には、ジーンズそのものが無形文化財になってしまうかも知れん。 そうなると、それを履いている俺自身が無形文化財、いや人間国宝になってしまうのでは?と心配している。

 日中は、家のおじいちゃんに(半強制的に)連れられて、ボイスンの北にある山に行った。 景色も良く、日記の写真に写っているお爺ちゃんにも会えたのだが、そんなことはどーでもいい!!
 ボイスンから北に10kmほどの集落まで乗合タクシーで行ったのだが、着いて降りた時に一眼レフ・カメラを落としてしまった。
 げーっ!!っと、ファインダーを覗いて見ると・・・左側が黒くなっている。 レンズを本体から外してみると、反射鏡が吹っ飛んでいた・・・
 色々と試してみたが、完全に外れてしまって、くっ付かない。

 山に登っている間、ずーっと「どうしようか?」考えていた。 実際に壊れてみると、一眼レフがないのは辛い。 特に色の表現力がコンパクト・カメラではかなわないので、気に入らない。
 一眼レフは日本に辿り着くまで使えれば充分だから、緊急処置をすることにした。
 反射鏡をセメダインでくっ付けちゃおう!作戦。
 一緒にいたカメラマン志望の子なんて、「えーっ!?」と言っていたが、とにかく日本までもてば良いのだ。

 山から帰って来たら、早速セメダインを買って宿に急行。 綿棒、小さい刺抜きピンセット、セメダインというカメラ好きが見たらブッ飛ぶような準備を整え、手術開始。 2人がかりで悪戦苦闘した末に、なんとか反射鏡がくっ付いて直ったっぽい!
 少しだけ寿命が延びたみたい。
 今後は落とさないように気を付けます。

旅の出費
タバコ: 700スム
雑費: 1,100スム
食費: 2,130スム
タクシー代: 1,070スム
宿代(1泊分): 5,000スム
合計: 10,000スム(約920円)

(左)ボイスン製パスポート入れ、(右)トルクメニスタン製タバコ入れ
2007年6月9日(土)
タジキスタン共和国入り?

 俺にとって“スタン”3カ国目となる『タジキスタン共和国』に入るべく、ボイスンを旅立った。
 実は、タジキスタンのビザを持っていない。 でも、何人かの旅行者に「タジキスタンは国境でビザで取れるようになった」という話を聞いて、試してみることにしたのだ。

 他の2人の日本人旅行者も、それぞれ別方向に旅立って行った。
 午前10時に家を出る。 「今日出て行く」と言うと、寂しそうな顔をしたお爺ちゃんが印象的だった。 子供たちからも「いつ帰ってくるんだ?」と何回も聞かれ、タクシー乗り場まで荷物を持って送ってもらった。

 乗合タクシーでデナウという町まで行く。
 山から下りてきた〜!と強く実感する極暑ぶりで、とろけそうになった。
 デナウで乗合タクシーを乗り換えて、国境まで行く。 北上するにつれて、万年雪を抱くパミールが見える。 平均標高3965mのパミールは、現地では『世界の屋根』と言われている。
 上は寒そうなのに、この暑さは何なんだ?!

 ボイスンから国境までは、合計3時間半掛かった。
 “乗合タクシー”という乗り物は、「ボイスンからデナウまで1人2,000スム」と言われても、それは乗客が4人集まった場合だけである。 1台8,000スムと考えた方が分かりやすい。 つまり、デナウまで行く人が4人集まらなければ出発しないので、急いでいれば他の人の分を払って出発してもらうことが可能だが、通常はひたすら待つ。 今日もひたすら待った。 移動中よりも、待っている時間の方が疲れたりする。

 ようやく国境に到着。
 ウズベキスタンの出国はスムーズに終わり、いよいよタジキスタン入国。
 ページをパラパラめくり、「これはカナダ? それともウガンダ?」とか、「おぉー、エチオピア」などと一々反応する係官。 そして、ついに最後のウズベキスタンのビザを見終わり、「あれ?」。

 「タジキスタンのビザは?!」
 ないよ、そんなもん。 えーっと驚く係官だったが、とりあえず「ここでビザをくれ」と言ってみると、「ビザはない」との返事。
 またまたー、本当は机の中に隠してるんじゃねーのか? 「日本人は今月から国境でビザが取れるようになったんだよ」と適当なことを言ってみると、「えっ?!」と驚く係官。 心配になったのか、首都ドゥシャンベに電話して聞いていた。
 ウソだけどな。

 結果、1時間以上国境でお茶をご馳走になりながら、「首都ドゥシャンベでATMから金を下ろしたいの!」と駄々をこねてみたが、国境ではタジキスタンのビザは取れないことがはっきりした。
 「空港では取れるけど、陸路国境では取れない」と言うので、そこを何とかしてくれとお願いしてみたが、困った顔をされて「これしかないから、どうしようもない」と入国スタンプを見せられた。 確かに入国スタンプだけじゃ、ビザ代わりにはならないな・・・

 なぜか、日本人旅行者の間でだけ言われている「タジキスタンは陸路国境でビザが取れるようになった」説は、完全にガセネタだったようだ。
 しかも皆、自分で試すのはリスクが高いから、噂だけが回っていて、この前会った日本人旅行者なんて「でも、この情報は信憑性が高いですよ」とか言ってたなー、そういえば。
 何を基準に信憑性が高い低いを言っていたのかは知らないが、自分で試してもいないのに“さも本当の情報であるか”のように人に言うのは止めた方がいいね。

 結局、一度出国したウズベキスタンに再入国する羽目に・・・
 さぁ、どうしようか?
 とりあえず、今日はボイスンに戻ろう。 ところが、既に夕方になっていたので乗合タクシーも中々人が集まらない。 1時間待ったが4人集まらなかったので、3人でデナウに向かう。 1人当たりの運賃が高くなった。
 デナウに着いたのは夕方6時ごろ。 デナウからボイスンまでの乗合タクシーもやはり人が集まらず、高い運賃を払って3人で行くことになった。

 夜8時、再びボイスンに帰ってきた。
 9時間に及ぶ日帰り旅行で金を使った結果、分かったことは『タジキスタンのビザは事前に取れ』ということだけ。
 お爺ちゃんの家に戻ると、「!?」
 「国境で追い返されてきた」と言うと、残念そうな顔をしながらも、ちょっと嬉しそうな感じだった。 子供たちなんて、抱きついて来たからな。
 早速、夕食が出され、普通に家に帰ってきたみたいだ。 お爺ちゃんなんて、「俺が国境まで付いて行けば・・・」と言っていたが、付いて来ても一緒だったと思うけどね。

 写真は、左がボイスンで買ったパスポート入れ(約365円)。 右がトルクメニスタンで買ったタバコ入れ(約240円)。 タバコ入れは、カシオのデジカメにぴったりサイズなのでカメラ・ケースとして使っている。

旅の出費
食費: 1,300スム
タクシー: 500スム
宿代(1泊分): 5,000スム
乗合タクシー(ボイスン→デナウ): 3,500スム
乗合タクシー(デナウ→国境): 2,000スム
乗合タクシー(国境→デナウ): 3,000スム
乗合タクシー(デナウ→ボイスン): 5,000スム
合計: 20,300スム(約1,870円)

ボイスン in ウズベキスタン
2007年6月10日(日)
ボイスンはどんな町?

 さて、今日も泊まるので通算7日間も滞在してしまったボイスン(写真)。
 一体、どんな町なのでしょう?

 な〜んにもありません。
 ツーリストが全然いない。 「外国人が来た!」と言うので、クラフト・センターに行ってみたら首都タシュケントから来た人だった。 それは外国人と呼ぶのか? もしかして、単語の意味的には“よそ者”という意味合いだったのかも知れない
 もし、最初に一泊したホテルしか知らなかったら、多分1〜2泊が限度だろうな。
 UNESCOクラフト・センターに行っても、長くて1時間もいたら飽きちゃうだろうから、それ以外は特に見るものなし、することなし。
 そういう意味では、お爺ちゃんの家に泊まったことがボイスンの全てを決定してしまったようだ。
 家にいるだけで、自動的に3食出てくるので出不精な俺には快適な環境。 今日もタバコを買いにバザールに行った以外は、外出せず。 部屋でダラダラしていたら、サクランボを持ってきてくれたりするので、部屋を一歩も出なくても餓死することはなさそうです。

 無形文化財として指定されたのは、織物の他に伝統音楽や踊りがあるそうだが、踊りが見れるのは結婚式の時かラマダン中のみ。 そういう意味では、この時期はあまり観光に適したシーズンではないかも知れない。

 町自体は高地にあるので、日中は直射日光はきついが日陰に入れば涼しく、夜も肌寒いほどで過ごしやすい。 ヒヴァやブハラ、サマルカンドといった低地から来れば、かなり快適な気候だ。
 町から眺める山々もキレイだ。 少し隣町まで足を延ばしてみれば、色々な形をした山が見られる。 基本的に岩山で、高い木は少ない。

 ウズベキスタンを西から東に来ているが、場所によって人が違ってくるのが面白い。 顔つきもさることながら、雰囲気も違ったりする。
 ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタンという分け方は政治的な結果であり、『ウズベク人』という名称そのものも旧ソ連時代の遺産で、実態は多種多様である。

 とりあえず、明日にサマルカンドに向かいます。
 サマルカンドの後は、首都タシュケントに行ってカザフスタン・ビザを取ってからカザフスタンへ。 カザフスタンは物価が中央アジア一高いので、少しだけウロウロしてからキルギスタンに行きます。
 昨日挑戦したタジキスタンは一番最後に後回し。
 タジキスタンは北から入って、西側を南下した後にパミール高原の山岳バダフシャーン自治州をぐるっと回ってキルギスの南部に戻って来て中国。
 アフガニスタンとパキスタンは諦めました。 フンジュラーブ峠は10月に入ったら雪で閉じてしまうので、時間的に厳しそうだから。 フンジュラーブ峠が閉じたら、陸路で中国に抜けるには来年の4月まで待たないといけないからね。
 さすがに、そこまで暇じゃないです。

旅の出費
雑費: 300スム
タバコ: 1,400スム
宿代(1泊分): 5,000スム
合計: 6,700スム(約620円)





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