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中東旅行日記


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現在地はどこなの?

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2006年8月14日(月)
ゴラン高原

 自衛隊がPKOに参加したことでも知られているゴラン高原に行って来た。
 第3次中東戦争で、シリアはゴラン高原からイスラエルを砲撃。 でも逆に反撃されてゴラン高原をイスラエルに占領されてしまう。
 第4次中東戦争では、シリアはエジプトと一緒にイスラエルに攻撃を開始。 シリアはゴラン高原の町クナイトラを奪還する。
 今日行ったのは、このクナイトラという町。

 現在、ゴラン高原は国連監視下の非武装地帯になっているが、実際にはゴラン高原のほとんどの部分をイスラエルが自国領土として観光地化を進めており、シリア側に戻ってきた領土はクナイトラのみ。
 韓国と北朝鮮の間にある38度線も、同じように国連監視下の非武装地帯になっているが、ゴラン高原は朝鮮半島の38度線と違ってあまりピリピリした緊張感は感じられなかった。
 でも未だにゴラン高原の帰属問題は未解決。 イスラエルの占領を大多数の国は認めていない。

 ダマスカスで同じ宿に泊まっている日本人旅行者数人と一緒に、ゴラン高原のクナイトラに行く事になった。
 日本語ペラペラのマレーシア人バックパッカーも同行。 マレーシア人パッカーには初めて会った。 彼は1年間の旅行予定で、これからアフリカ大陸を縦断するそうだ。 10年前までは日本人パッカーしか見掛けなかったのに、徐々に韓国人パッカーが増え、ついには東南アジアからまでパッカーが出てくるとは。 豊かになった証拠か?

 まず、ダマスカス市内にある内務省の事務所でクナイトラ訪問の許可証を取得する。 無料で1時間くらいで発給してくれた。
 ただ、マレーシア人パッカーのパスポートに、日本のパスポートと同じく『このパスポートは全ての国と地域で有効である』と書かれているのだが、追記で『イスラエルは除く』と書かれていた“イスラエル”という文字に係官が反応してしまい、彼のパスポートを調べる時間が掛かってしまった。 英語が読めないから何と書いてあるか分からない、でもISRAELという文字は理解出来たようで、とんだ一騒動。 同じイスラム教国なんだからマレーシアぐらい知っておけ!

 ダマスカスからセルビス(乗合タクシー)に乗って1時間ほどでクナイトラに到着。
 パスポートと許可証の検査があった後は、シリア軍の兵士が乗り込んでくる。 セルビスに乗ったままUN(国連)のゲートを越えると、非武装地帯に入る。 でもイスラエルとの最前線的雰囲気は全くなく、ちょっと拍子抜け。

 クナイトラという町は、普通の町ではない。 町の中は全て破壊されて廃墟と化している。 第4次中東戦争にイスラエル軍に爆撃された町を、アサド前大統領がイスラエルの残虐行為の記録として修復せずに、爆撃されたそのままの姿で残している。

 まず向かった場所は病院跡(写真)。 銃撃戦があった跡が壁に残っている。 どこも、窓周辺に弾痕が集中している。
 その後は、教会、モスクと見て回った。 どこも爆撃で破壊されて瓦礫の山と化しているか、弾痕で穴だらけかのどちらかだ。
 見所と言っても、瓦礫しかないのだから見所も何もない。 奪われたシナイ半島を取り戻したエジプトと違い、シリアはクナイトラしかゴラン高原を取り戻していない。
 ヨルダンなどは、今はパレスチナ自治区になっているヨルダン川西岸を取り戻すことを諦めて放棄した。 やはりイスラエルとアラブ各国の軍事力の差は歴然だ。

 ちなみに現在の中東問題の本当の原因はイギリスが作ったんだけどね。 中東問題に起因した爆弾テロが起ったとしても、自業自得だから仕方のないこと。
 三枚舌外交。 イギリスは、アラブ人にはパレスチナ独立国家を認めることを約束。 一方で、ユダヤ人にはパレスチナにユダヤ国家を建設することを約束。 さらには、フランスとロシアの3カ国でパレスチナを分割統治する内密協定まで結んでいた。 八方美人ってやつね。

 未だに、世界は西欧列強の遺産を引きずっているのに、西欧各国が責められることはない。 矛盾だらけの世の中。 逆に中東問題では、アラブがテロのイメージで悪いくらいだもんね。

旅の出費(2人分)
食費: 120シリア・ポンド
タクシー: 15シリア・ポンド
外食代: 855シリア・ポンド
セルビス代: 135シリア・ポンド
インターネット: 115シリア・ポンド
合計: 1,240シリア・ポンド(約2,850円)

オールド・ダマスカスのスーク
2006年8月15日(火)
オールド・ダマスカス

 夕方からダマスカス旧市街に行ってみた。
 写真は、旧市街の中にあるスーク(市場)。 金の装飾品屋さんから、水タバコ屋さん、服屋さんまで色々あり、観光客が多い。 観光客といっても、日本人や欧米人ではなく、アラブ各国から来た観光客だ。 アラブ人なんて顔が一緒で違いが分からないが、ビデオ・カメラで撮ってたり、写真をパシャパシャ撮ってるから観光客だろう。

 5000年の歴史を誇るダマスカスだが、旧市街は別に「あー、古いんだね・・・」程度。 イエメンのサナアの旧市街を見てしまったら、ダマスカスの旧市街は雰囲気に劣る。
 中東を5ヶ国程度しか周っていないが、イエメンに勝る雰囲気を持つ国はなかった。
 イエメンは超保守的で、俺の髪の長さも相当言われた。 「お前は女か?」と。 女性が100%全身黒装束なのも、イエメンだけ。 他の国にも黒装束は沢山いるが、普通の洋服を着ている女性もちらほらいる。 でも、イエメンだけは大人の女性の素顔を一度も見れなかった。 俺の“もう一度行ってみたい国”は非常に少ないが、イエメンはその数少ない国の一つに入る。
 ダマスカスの旧市街に行ったのに、イエメンの宣伝になってしまった。

 今日は面白い事を一つ発見してしまった。
 対イスラエル強硬派の急先鋒であるはずのシリアで、気を付けて歩いているとイスラエルの国旗を見かける。
 え、なんで?と思っていたのだが、今日意味が分かった。 ダマスカス旧市街にも歩道に大きなイスラエル国旗がペイントされている。 アラブ人たちはそのイスラエル国旗を踏ん付けて記念撮影をしている。 確かに、今まで見掛けたイスラエル国旗は、階段とか歩道とかにペイントされていた。 なるほど、土足で踏ん付けるためのペイントだったんだね。
 気持ちは分からんでもないけど、子供じゃないんだからさぁ〜・・・

 さらに、ヒズボラの事務所と思われる建物を発見してしまった。 右翼の街宣車以上の大音量で、軍歌ならぬヒズボラ行進曲(?)を流しているし、入り口では義勇兵募集の受付があるし、入り口の掲示板には対戦車ミサイルを肩に担いだヒズボラ兵のヒーローチックな写真が貼られていて、絶対にヒズボラの事務所。
 写真を撮りたかったのだが、入り口がスモークガラスになっていて、中が見えない。 撮った瞬間に、中から「なんじゃ、ごら!」とやーさんみたいなお兄さんたちが出てきたら怖いし、止めておいた。
 ちなみにヒズボラTシャツは1枚100シリア・ポンド(約230円)、ヒズボラ・ワッペンは1枚75シリア・ポンド(約170円)で買える。
 シリアのお土産に最適ですよ。 奥さん、お一ついかが?

旅の出費(2人分)
食費: 190シリア・ポンド
ビール: 100シリア・ポンド
外食費: 100シリア・ポンド
合計: 390シリア・ポンド(約900円)

ウマイヤド・モスク
2006年8月16日(水)
嫌々?

 高速北上中の俺は、わずかダマスカスに3泊しただけで移動開始。 冬が来る前にヨーロッパに到達せねば!
 今日はシリアの有名な遺跡群を見に、パルミラへ移動。 なんだかエジプトからずーっと遺跡三昧の気がするけど、まぁ観光が旅行者の義務なもので・・・

 突然だけど、旅行するなら短期の方が絶対に良いと思いまーす。 長期になるとダラダラ・モードに入っちゃうし、連続で観光地を巡るから感動も何もあったもんじゃない。 ヨルダンのペトラ遺跡だって『通り道だから寄ろうか?』って感じだし、パルミラ遺跡だって『有名だから一応見ようか?』って感じ。 遺跡って石ばっかりで飽きるんだよね・・・ 南部アフリカを四駆で周ってた時だって、最後の方なんて『また野良キリンかよー』って止まりすらしなかったもんね。 シマウマとか見飽き過ぎて『邪魔!』って思ってたし。

 ダマスカスからパルミラ方面にバスで走っていると、道路標識に『→バグダッド』と出てくる。 『IRAQ 155km』など出てくると、「1時間半でイラクに着いちゃうじゃん!」と驚き。
 ダマスカスからパルミラは、約3時間の道のり。 そして今日の仕事は終了。

 写真は、世界最古のモスク。 オールド・ダマスカスにあるウマイヤド・モスクは、西暦715年に建てられた。 イスラム教ではメッカやエルサレムなどに続いて第4の聖地になっている。

旅の出費(2人分)
食費: 130シリア・ポンド
タクシー: 80シリア・ポンド
外食代: 230シリア・ポンド
宿代(4泊分): 2,100シリア・ポンド
バス代(ダマスカス→パルミラ): 200シリア・ポンド
合計: 2,740シリア・ポンド(約6,300円)

パルミラ遺跡・四面門
2006年8月17日(木)
パルミラ遺跡

 シリアの目玉と言われているパルミラ遺跡。
 ちなみに、旅行者の間での評判はあまりよろしくない。 ヨルダンのペトラ遺跡を比べちゃうと・・・というのが理由らしい。

 昼頃起きて、プラッと行ってみた。
 クソ暑〜い!! 陽射しがやばいって。 適当に1時間ほど遺跡内(入り口辺りだけど)を回って宿に帰って昼寝。
 他の旅行者の言うことが分からんでもない。 ペトラ遺跡は言わば完成品だが、パルミラ遺跡は非完成品。 つまり石のガラクタだらけだっちゅーことですよ。 でも無料だから良いけど。
 あと観光客が全くもっていない。 暑いからかな?
 一応ガイドブックによると、パルミラはUNESCOの世界遺産にも登録されていて、世界有数の巨大な規模らしいっす。 広さはな。 遺跡が巨大なのと、“遺跡のある場所”が巨大なのでは意味が違うんだけどね。
 日本からわざわざ見に来るもんじゃないことは確か。

 夕方にもう一度遺跡に行ってみた。 やはり遺跡は夕日に映える姿が美しい。 写真は、夕暮れ時の四面門。

 実は、今日でケープタウンを出てから、ちょうど7ヶ月が経過。 この1ヶ月で訪れた国は、エジプト、ヨルダン、シリアの3カ国にも及ぶ。 もの凄い超高速移動!
 そして、この1ヶ月の出費は! ジャンジャカジャーン、94,710円なり。 相変わらず1人で旅行するよりも総額で安い・・・ スピーカー買ってくれなかったり、厳しいからねー。
 8年ぶりに本帰国するつもりでケープタウンを出たけど、このままいくと“9年ぶり”になりそうな気がしてきた。 でも『9』って数字も中途半端だから、10年の方がいいかな?
 問題は金だ。 ドイツのどこかに置いてある俺のトラベラーズ・チェックだけでは足りない。 でも、株とか外貨預金には手をつけたくない。 とすると、働くしかない・・・
 ロンドンと、ドイツの何とかブルグって町に行けば、新薬の人体実験のお仕事があるみたい♪ しかも8日間で30万円! 16日で60万円、24日で90万円!! 残念ながら8日以上は無理らしいけど、今の俺には30万円も宝の山に見える・・・
 ま、ある意味で体を売る仕事だけどな。

旅の出費(2人分)
外食代: 600シリア・ポンド
宿代(1泊分): 350シリア・ポンド
合計: 950シリア・ポンド(約2,190円)

ヒズボラのポスター
2006年8月18日(金)
優しい兵士

 シリアでは、よく車やバスのリア・ガラスにヒズボラのポスターを貼ってあるのを見掛ける(写真)。 写真のメガネのおじさんが、ヒズボラの指導者。
 ヒズボラTシャツもポスターと同じような柄で、おじさんの顔がドーンと描かれている。 これを着てイスラエルに行ってみ? 間違いなくハードな取調べが待ってる。 下手したら拘束か・・・

 今日はパルミラからシリア中部の町ハマまで移動。
 パルミラからホムスというシリア随一の交通の要所まで行き、バスを乗り換えてハマへ向かう。 パルミラ→ホムスは2時間、ホムス→ハマは30分の移動時間だ。 近い、近い。

 パルミラから乗ったバスが、ホムスの町外れにあるバス・ターミナルに着いた。 聞くと、ホムスからハマに行くバスは町の逆側の外れにあるらしい。 乗り換えが不便だ・・・
 とりあえずタクシーで移動しようと思い、料金を聞くと100シリア・ポンド(約230円)する。 パルミラからホムスまで2時間乗ったバスと同じ値段というのは納得出来ん。 回りのシリア人に聞くと、セルビス(乗合タクシー)なら安く行けるみたいだ。 ところが、このセルビスも乗客がギュウギュウ詰めで、大きなバックパックを持っている状態では乗り込めない。
 そんな様子をみて、回りのシリア人が助けてくれた。 バス・ターミナル行きのセルビスを探してくれるお兄さん、セルビスを止めさせては「バス・ターミナルに行かないか?」聞いてくれる警察官などなど。
 なかなか捕まらないし、バス・ターミナルに行くセルビスは見付かっても満席だし、諦めかけていると目の前にセルビスが止まった。 見ると、さっきまで一緒に探してくれていたアーミールックの兵士が乗っている。 しかも後部座席を俺らのために確保してくれていた。 さらには俺のクソ重いバックパックを自分の膝の上に載せてスペースを作ってくれ、お金まで彼が払ってくれた。
 そんな彼は、ハマ行きのバス・チケットを購入するまで付いていてくれ、購入を見届けるとバイバイと消え去った。 多分、自分の家に帰る予定だったのに、わざわざ俺らを送るために町外れの遠いバス・ターミナルまで送ってくれた感じ。

 今日はアラブ人の親切が身に染みた1日でした。 でもバスの中では、東アジア人を見付けて面白がって、からかってくるガキにゲンコツを食らわせてやろうかと思ったり、やっぱりアラブはアラブ。 親切とウザさが交差するグルグル・チキンの国。
 たまーに、東アジア人を見ると「ちんちゃんちょーん」などとケラケラ笑いながら言ってくる馬鹿どもがいるのもアラブ。 「ちんちゃんちょーん」は、中国語を馬鹿にした感じでマネしてる言葉。 結構世界中で聞くことが出来る単語なので、中国人じゃなくても覚えておきましょう。
 対策としては、「ちんちゃんちょーん」と言われたら蹴り倒すという方法があります。 相手が怒ったらこう言いましょう。
 「お前、ちんちゃんちょーんの意味が分かるか?」
 そして意味を教えてあげます。
 「ちん(キック)ちゃん(ミー)ちょーん(プリーズ)」
 「ご要望に答えて蹴ってやったのに、貴様は何たる礼儀知らず!」
 ただ、中東ではこのワザほとんど通用しません。 英語が通じないから・・・ 『キック・ミー、プリーズ』すら理解しないと思う。 英語を理解する奴は、そもそも「ちんちゃんちょーん」言わないし。

旅の出費(2人分)
食費: 140シリア・ポンド
タクシー: 50シリア・ポンド
外食代: 200シリア・ポンド
インターネット: 140シリア・ポンド
バス代(パルミラ→ハマ): 150シリア・ポンド
合計: 680シリア・ポンド(約1,560円)

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2006年8月19日(土)
必要最低限とは?

 今泊まっている宿に、『バックパッカーズ読本』なる日本語の本が置いてあった。 “君でもバックパッカーになれる!”的ノリの内容なのだが、読んで驚愕した。
 まず、「バックパッカーの基本は歩くこと」らしい。 マジでー!? どうやって歩かずに済むかを考えている俺は、基本を抑えていなかったんだ・・・
 さらに、『旅行に持って行く荷物リスト』が書かれていた。 あー、これを先に読んでおけば俺の荷物も軽かったかも知れない・・・ 荷物は基本最低限のものでいいらしい。 その最低限の中にパソコンや、ゲーム用コントローラは入っていなかった。
 思い出せば17才の初海外旅行の時、バックパックを背負って中国行きの船に乗り込んだはいいが、「お腹が空いてはマズい」と思い、丸い缶のクッキー(お歳暮用)を持って行った。 すっげー邪魔だったのを覚えている。
 丸い缶のクッキーも『基本最低限荷物リスト』には載っていなかった。

 ちなみに、このサイトの『旅の装備(2006)』と、日記のお小遣い帳の2つは、あまり参考にならないともっぱらの評判だ。

 写真は、ハマの街並み。

旅の出費(2人分)
食費: 153シリア・ポンド
ビール: 90シリア・ポンド
インターネット: 100シリア・ポンド
合計: 343シリア・ポンド(約790円)

クラック・デ・シュバリエ
2006年8月20日(日)
クラック・デ・シュバリエ

 今日はクラック・デ・シュバリエに行って来た。
 クラック・デ・シュバリエ(Crac des Chevaliers)は十字軍の造ったお城のこと。 宮崎駿の『天空の城ラピュタ』のモデルになった城らしい。
 ハマからこの城までは、ホムス乗換えで約2時間で行ける。

 旅行者は大抵立ち寄るクラック・デ・シュバリエ。 ものすごく期待していたわけでもないが、せっかく近くまで来たからには見ておきたかった。
 実は生まれて初めて生で見るヨーロッパ建築のお城。 ところが、思ったほどよくはなかった・・・ どうせ本場のヨーロッパに行くんだから、ヨーロッパで見ればいいや。
 一通り城内を散策してハマに戻る。

 帰り、ハマで乗ったセルビスは運ちゃんがお金を受け取らなかった。 「要らない」と言う。 さらにはコーヒーは出てくるわ、水は出てくるわで、親切。
 シリアでは、旅行者がセルビスに乗ったら「お金は要らない」と言ってタダで乗せてくれる運ちゃんがよくいる。 でも、逆に外国人料金で現地人より高い値段を取ろうとする運ちゃんもいる。 両極端なんだよねー・・・シリア。
 シリアって良い所だなぁーと思って油断してると、すっげームカつく奴に会ったり、シリアってうぜーと思ってイライラしていると、すっごく親切な人に会ったり、忙しい。 でも、もうアラブはお腹一杯。

旅の出費(2人分)
雑費: 25シリア・ポンド
食費: 125シリア・ポンド
入場料: 10シリア・ポンド
外食代: 160シリア・ポンド
セルビス代: 205シリア・ポンド
合計: 525シリア・ポンド(約1,210円)





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