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4WDで行く南部アフリカ旅日記


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2005年9月26日(月)
マラウィでビジネス

 10時頃起きて、マラウィ湖を眺めるソファーでボケーっとしていると、宿のオーナーが近づいてきた。 彼はスリランカ人で、奥さんと一緒に1年前にマラウィに移って来て、3ヶ月前にこのロッジを購入したばかりだと言う。

 彼とマラウィでのビジネスについて色々話しをしたが、中々面白かった。 タバコ農家のスコットからも聞いて知っていたが、やはり人的コストは安い。
 スリランカ人で、ワーカーに月収2,000クワチャ(約1,700円)、マネージャーで3,000クワチャ(約2,500円)払っていると言う。 どこまで本当か知らないが、いずれにしても安い。 ただ、勤労意欲が低いのが問題だそうだ。 第三次産業を見ても、人の良さ(悪く言えば田舎者)でカバーしている感があるが、レベルは低い。

 バンコクで働いている時に仕事で知り合った日本人で、軍事用塗料の製造で一財産を築いていた人がいたが、彼曰く製造方法は農業学の応用らしい。 今、彼は原価タダ当然の物から栄養補助食品を作っているが、同じような付加価値の高い農業をマラウィでやれば面白いかもと思った。

 今日のマラウィの英字新聞『The Nation』の中に“Malawi is high cost country”という記事が大きく載っていた。 半ページも割いてどんな興味深いことが書いてあるんだろうと思って読んだが、内容は超くだらない。 アナリストが書いた記事だったが、俺でももっとマシな内容で書けるぜ。
 半ページも割いて、「マラウィは輸入より輸出を増やすべきだ」という内容にまとめられている。 そんなの半ページも割いて語るほどの内容の話ではないし、アナリストの体験談も超くだらない。
 「先月、私はリロングウェの市場に卓上時計を買いに行った。 時計屋を回ってみると、チャイニーズ・ショップの時計がどこよりも安い。 150MK(約130円)で買ったが、数ヶ月経った今でもこの時計は動いている。 マラウィと北京はどれだけ遠いのだろうか? その輸送コストを足しても、この価格で売れるということは、原価は幾らなのだろうか?」。
 疑問文を多用している割に、答えになるような情報など一切無し。 こんな奴、アナリストを名乗るな。

 マラウィ湖沿いに数キロ歩いてみた。 観察すると、マラウィ湖はマラウィ人にとって洗濯場、お風呂、魚場として身近に彼らの傍にある。 若干のビーチボーイ(レイクボーイ?)が近づいてきたが、すれた感じはあまりしない。 湖で泳いでいるガキも「Give me money」と言ったりするが、それだけストレートに言えるってことはまだ可愛い証拠だ。
 でも、そんな貧乏マラウィ人たちに笑われた。 何しろ、俺のジーンズはこの旅行で両膝の部分に穴が開いてるし、お尻にも穴が開いていてパンツが丸見えだ。 そんなジーンズをゆび指されて笑われてしまった。 笑われていたのか、女の子たちが俺のお尻を見てキャーキャー言っていたのかは微妙だけどな。

 ボートに乗りながらワインを飲んでいる黒人の女の子3人組に声を掛けられた。 ちょっと金持ちそう。 聞くと、ジンバブエから遊びに来たそうだ。 「一緒に遊ぼう」と言われたが、もうジンバブエ行かないし・・・ でも、お友達にくらいはなっておけば良かったかな。

 散々歩いて飲んだビールは格別。 初めてマラウィのローカルビール『クチェクチェ』を飲む。 ちょっとだけいやらしい名前のビールだが、意味は大したことない。

今日の走行距離; 0km
今日の出費(2人分)
トマト: 20マラウィ・クワチャ
ビール: 560マラウィ・クワチャ
合計: 580マラウィ・クワチャ(約490円)

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2005年9月27日(火)
猿湾

 一度、リロングウェに戻ることにした。
 モザンビークの国境によってはミランジェ(Milange)などビザを取れない場所もあるらしいので、先に取って行った方が無難かなと思ったのだ。 午前中の内にリロングウェのモザンビーク大使館でビザの申請をして、受け取りの午後2時まで両替やディーゼルの補給、インターネットなどをして過ごす。

 ビザを受け取って直ぐにリロングウェを出発する。
 M1号線を南下して、モザンビークとの国境デザ(Dedza)を素通りすると警察の検問があった。 これから通ろうとしていたマササ(Masasa)からゴロモチ(Golomoti)までの道を聞くと、「現在工事中で、閉鎖中」だと。 ここが通れないと150kmも遠回りをしないといけない・・・ 無駄に南下して、道路がある所から今度は北上。

 夕方6時ごろには日が暮れて暗くなった。 暗くなってからの未舗装道路は走りづらい。 電灯などないから、真っ暗な中を車のライトをハイビームにして走っていると、マラウィ人が自転車に乗って走っている。 しかも沢山。 暗闇の中、電気も点けないでよく走れるよなぁ。 さらに道でボーっと突っ立っていたりするのは危ないから止めて欲しい。 暗闇で黒人ってほんと見づらいから、突然道の真ん中を歩いていたりすると轢きそうになる。 白壁に埋まっている白人を探すより分かりづらい。

 岩で車の底を擦って以降、エアコンが壊れた。 しばらく走って、今度は凸凹の洗濯板道路でエアコンが直った。 そんな道路も突き当たりにぶつかった。 どうやら村っぽい。 ちらほらある電球からうっすらと見えるのは、人がいっぱいいるということだ。 どうやら市場みたいだ。

 今日の終点モンキー・ベイは、そこから18kmだった。 この道がグネグネの凸凹。 多分、昼間走ったらそんなに大変じゃないと思うが、暗闇で走るとすごい道路に感じる。
 暗いから見えないが、湖の目の前に来たことは確かだ。 波の音が聞こえる。

 今日で、ケープタウンを出てからの走行距離が14,000kmを超えた。

今日の走行距離; 508.4km
今日の出費(2人分)
テント設営代: 1,000マラウィ・クワチャ
タバコ: 190マラウィ・クワチャ
モザンビーク・ビザ: 3,200マラウィ・クワチャ
外食費: 1,450マラウィ・クワチャ
インターネット: 690マラウィ・クワチャ
食費: 320マラウィ・クワチャ
ディーゼル代: 4,770マラウィ・クワチャ
合計: 11,620マラウィ・クワチャ(約9,830円)

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2005年9月28日(水)
モザンビーク入り

 昨日の夜は暑苦しくて寝づらかった。 センガ・ベイもそうだったが、マラウィは標高が高い割に風がなく、夜暑い。 夜に暑くて寝苦しかったのは、マラウィ以外思い浮かばない。

 朝起きると、目の前には湖が広がっていた。
 テントを張った『Fat Monkey』ではスキューバダイビングの免許も取れるが、オープンウォーターで190USドル(約21,000円)、アドバンスドで160USドル(約17,500円)。 多分、これは他の国と比べても安いと思う。

 昨日の夜に到着したのに、午前中にはテントを畳んで出発。 ここ最近、何だか慌しい。
 10月末にはケープタウンを出てバンコク経由で日本に行かなければいけないから、実質あと1ヶ月も残っていない。 こんな時間に追われるような旅は好きではないけど、今回は仕方がない。 結局、南部アフリカを回るだけでも3ヶ月では短すぎるということだ。 感覚で言えば、大体6ヶ月以上は必要だと思う。

 ビールを飲んだ後、モンキー・ベイを出てM10号線を南下してマンゴチ(Mangochi)に向かう。 ここから東に向かってモザンビークとの国境チポンデ(Chiponde)を目指す。 道路は急な峠道になるが、マラウィ人たちは自転車で昇り降りしているのがすごい。 しかもインド製チャリで。
 チポンデの国境はしょぼい。 出入国管理事務所がどこか分からなかったくらいだ。 さらに国境を越えると、モザンビークの国境まで少し距離がある。 ザンビアとの国境でもそうだったのだが、マラウィを出国してからモザンビークに入国するまでに村があって、村人がチャリンコでふらふらしているのだ。 あの村人はどっちの国の住民なのだろう? あんなしょぼい村だけど、保税地区だったりして。

 今回の旅7カ国目のモザンビーク人民共和国に到着。
 モザンビークの国土は日本の2倍強の広さがあるが、人口は1,700万人で日本の約7分の1しかいない。
 また、今回旅行する国々の中で唯一公用語が英語ではなく、ポルトガル語の国だ。
 ポルトガルからの独立以来20年近く続いてた内戦も、1992年10月に終結。 オフロードを走ると地雷を踏む可能性が高いことを除けば、人の良さと海のキレイさで旅行者に人気がある。

 入国で少しもめたが、何とか無事国境を通過出来た。
 モザンビーク側の国境マンディンバ(Mandimba)からどこに行くか?30秒ほど考えて、北に約145kmの場所にあるリシンガ(Lichinga)を目指すことにした。 後でガイドブックを読んだら、この区間を通るには10時間掛かると書いてあった。 もし先に読んでいたら間違いなく別なルートにしていたね。 マラウィからモザンビークに入った途端、道路は未舗装道路。
 リシンガまでの道路は最高7〜80km/hのスピードは出せるから、“悪い”というわけでもないが、凸凹の振動で『ケムケム号』の補助ライトのカバーが割れたり、車内に付いていた盗難防止アラームが消えてなくなった。 盗難防止アラームは車のキャビネットの裏に落ちたのだと思う。 さらに途中でトラックが横転していた。 何年前に書かれたのかは知らないが、ガイドブックの情報ほど時間は掛からない。 3時間ちょっとみれば十分だ。

 リシンガに着いた頃には夜7時を過ぎており、真っ暗。 ガイドブックに載っている唯一の安宿を探そうにも、地図がないので見付からない。 町中でウロウロしていると、白人のいるレストランを発見。 英語で場所を聞けるかと思い、聞きに行くがポルトガル系で英語が一切話せない。 ガイドブックに載っている宿の名前を連呼していると、偶々そのレストランに居合わせた客2人組の内1人が場所を知っていた。 でも彼も英語が全く話せない。
 お互い話していることが理解出来ないので、彼が『ケムケム号』に同乗して連れて行ってくれることになった。 『ケムケム号』には荷物が載っていて3人は乗れないので、彼女を残して2人で行く。

 車内の会話が辛かった。 お互い会話にならないが、よく喋るおっさんだ。
 おっさん「○$×%、ボン」、俺「ボン?」、おっさん「(うなずきながら)ボン!」、俺「ボン、ボン?」、おっさん「(親指を立てて)ボン、ボン!」、俺「ボン!」、おっさん「ボン!」という会話が車内でなされていた。
 ポルトガル語は全く理解出来ないが、爆発の擬似音みたいな『ボン』だけは覚えれて、道中の会話は『ボン』一色。 ちなみに意味は“Good”と理解した。

 俺らが探していた宿『Quinta Capricornio』はとんでもない森の中にあった。 このおっさんは俺を森に連れ込んで殺すつもりなんじゃないだろうか?と心配したほどだ。 だって道がスーパー林道なんだもん。 ようやく辿り着くと、そこは電気も水道もない所だった。 でも現在改装中のため、テント設営は無料!

 おっさんを送る道中もポルトガル語をひとつ覚えた。
 『ポク・ポーク』。 発音は間違ってるかも知れないけど、俺の耳にはこう聞こえる。 意味は“ゆっくり”。
 「ポク・ポーク、ボン!」、この2つで会話は出来る。 でも会話に意味はない。
 写真は、マラウィ湖で獲れるナマズ。 彼らの食料だ。

今日の走行距離; 326.3km
今日の出費(2人分)
テント設営代: 400マラウィ・クワチャ
外食費: 100マラウィ・クワチャ
食費: 35マラウィ・クワチャ+20,000メティカシュ
入国手続代: 200ランド+800マラウィ・クワチャ
タバコ: 40,000メティカシュ
合計: 1,335マラウィ・クワチャ+200ランド+60,000メティカシュ(約4,900円)

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2005年9月29日(木)
タダ泊3回目

 電気も水道もないので、シャワーも浴びれない。 朝、井戸から水を汲んでジョウロに入れて頭を洗う。 体はタオルを濡らして拭いた。 幾らタダとは言え、ここに何泊もするのは辛い。

 リシンガを出る前に、昨日の夜に親切にしてもらったおっさんの会社を表敬訪問。 ヤッシンさんは、秘書嬢もいるようなお偉いさんだった。
 でも表敬訪問したのはいいけど、相変わらず会話にならない。 英語を話せる人(通りすがりの赤の他人)を通訳に話しをするが、俺らがマルパ(Marrupa)という町に向かうと言うと、ヤッシンさんはマルパへ行く通りまで送って行ってくれると言う。 なぜか通りすがりの通訳とも握手をして、「Have a nice trip」と言われてしまった。 お前は誰だ?状態だけど、何となくお前はいい人だ。
 ヤッシンさんの愛車トヨタ・セレスに先導されてN14号線まで出て、そこで別れる。 彼は最後まで「ボン!」を連発していた。 俺も負けじと「ボーン!」。

 リシンガからマルパへ向かうN14号線は非常にキレイ! 昨日が凸凹の未舗装道路だったから、今日はもっとひどい道路を想像していたのだが、思いっきり読みが外れた。 ものすごくキレイに舗装された道路だし、景色も中国をイメージするような尖った岩山があったりして、お勧めドライブ・ルートだ。 リシンガから250km地点までは・・・

 250kmを越えると、道は工事中になる。 工事中のレベルも、山の亜熱帯雨林を切り開いて道にしている途中という場所もあり、写真のように車が通れるように皆に岩を退けてもらう所もある。 100km近く悪い道を走っていたら、『ケムケム号』がオーバーヒート気味になってしまった。 ほんと弱ぇー! もっといい車が欲しい。

 午後3時半に目的地のマルパに到着。 テントを張らせてもらえる安宿を探すが、電気・水道がなくて450円/人くらいと高い。 もう少し走って、山中の小さい村にタダでテントを張らせてもらうことも考えたが、『ケムケム号』のコンディションを考えるとマルパで1泊しておきたい。
 困ったなぁ〜と町中を行ったり来たりしていると、いきなり『ケムケム号』の前に立ち塞がる野郎がいた。 誰だ、お前は?と窓を開けると、「ケープタウンから来たのか?」とキレイな英語で聞いてくる。
 聞くと、彼は南アフリカのRumdel建設の社員でリシンガ⇔マルパ間の道路を作っているのだそうだ。 『ケムケム号』のナンバープレートを見て、声を掛けたみたいだ。 彼の他にも沢山の南アフリカ人がマルパなどを基地にして、測量や監督などをしている。 リシンガからの素晴らしい道路は彼らが作ったのだった。

 『ケムケム号』に立ち塞がって来たパトリックに、テントを張れる場所がないか聞くと、なんと彼らの資材置場&宿舎になっている基地内にタダでテントを張らせてもらえることになった。 しかも、ホットシャワー、トイレも使わせてもらえる! ホットシャワー4日ぶり♪

 今回の旅で初めて雨が降った。かなり強い。

今日の走行距離
; 358.6km
今日の出費(2人分)
ディーゼル代: 1,500,000メティカシュ
食費: 150,000メティカシュ
合計: 1,650,000(約7,260円)

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2005年9月30日(金)
人生で最悪

 モザンビークをなめていた。
 今までナミビアのカオコランドや、ボツワナのオカバンゴ・デルタ、チョべ国立公園が俺の中で『悪い道路』だったが、甘かった。 今日初めて知った人生最悪の道路はモザンビークにあった。

 “道路”と呼べば道路だけど、車道と呼んでいいのか?は疑問。 『ここは通らせないぞ』という意思を持っているかのような道路で、日本でお金を払って30分間走るようなオフロード・コースを9時間走ったと言えば多少は説明が付く。
 昨日出会ったRumdel建設の人も、「あのブッシュを通るのか・・・(注:彼は“道路”とは言わなかった)」と渋い顔をしていたくらいの道路だ。
 リシンガからマルパまでの道路を作っている彼らが言うくらいだ、すごい。 ナミビア、ボツワナとは根本的にレベルが違う。

 マルパを出発してから、モンテプエズ(Montepuez)で舗装道路に入るまでの215kmを走破するのに9時間掛かったが、その間に岩、砂、泥、丸太橋、川底など一通り体験した。 4WD歴2ヶ月ちょっとの俺には辛い。
 一番やばかったのが、深い溝を横転寸前の体勢で走った時に、前にも後ろにも動けなくなった。 助手席側は上を向いていて重力でドアを開けれなかったし、運転席のドアは開けると地面に付いて途中までしか開かなかったが、この時は通行人のモザンビーク人たちが助けてくれた。
 泥にハマって抜け出せなくなった時もあったが、これは何度か奮闘して自力で抜け出せた。
 水がない川底を走っていた時は、途中で『これって道路だよな?』と心配になったりした。 川底は上流から下流に向けて走ると段差がある。 その段差が『ケムケム号』の車高より高いのだ。 でも、底を擦ろうが通らなければ仕方がない。

 インターネットで、『4WDは4本のタイヤの内3本が地面に接していれば、動くことが出来る』という話しを読んだことがあるが、今日は何度も自分で身をもって理解した。

 この道路、自動車のタイヤ跡が残っていないので、俺以前にいつ通ったのかは不明。 でも現地人は歩いたり、自転車で通っている。
 マルパから、自動車のタイヤ跡を見るようになったレテタ(Reteta)という村までの127kmを走破するのに6時間半掛かったが、この間にある村々は人が非常に良い。

 道中、村は沢山ある。 村に近づく『ケムケム号』のエンジン音が聞こえると、子供達が走って道路に近づいて来て手を振ってくる。 たまに大人も走って来て手を振る。
 デカイおばちゃんがオッパイをブルンブルン震わせながら全力疾走で家から飛び出してきた時は恐怖したが、このおばちゃんもニコニコ手を振りたかっただけのようだ。
 3つほどの村で止まったが、ある村で学校の前に止まったら、学校の子供達が全員走り出てきた(写真)。 先生に怒られていたけど・・・ でも、村々で接した人の誰一人と「何かちょうだい」と言ってきた人がいなかったのは興味深い。 ただ、止まる度に黒山の人だかりで人気者だ。
 道を歩いている人、自転車に乗っている人、村の中と、出会った人々の9割は手を振ってくるので、まるで俺らは皇太子殿下と雅子様状態。 手を振るってことが、こんなに大変なことだとは思わなかったぜ。
 ガイドブック『Lonely Planet』にすら載っていないこの区間は、徒歩、自転車、4WDで入る以外に旅行者が行ける方法はない。 宿の類は一切なさそうだったが、皆「家に寄っていけ」と言ってくるくらいだから、村にテントを張るくらいは簡単そうだった。 ただ山中はライオンやゾウが出る。

 自動車のタイヤ跡を見るようになったレテタ以降は、あまり手を振られなくなったのも面白かった。 モザンビークに入って3日目で、こんなに素朴な人たちに会ってしまったら、今後出会うモザンビーク人たち皆が擦れて見えてしまう。
 レテタからモンテプエズまでの道路は、自動車が通った痕跡があるが、状態が良いわけではない。 でも明らかにそれまでよりマシ。 さらに、モンテプエズから今日の目的地ペンバ(Pemba)までは205kmあるが、超快適な舗装道路だ。

 今日はたった435kmの道を、11時間半掛けて走った。 休むことなく走った『ケムケム号』が心配だ。

今日の走行距離; 435.9km
今日の出費(2人分)
食費: 10,000メティカシュ
タバコ: 15,000メティカシュ
外食費: 60,000メティカシュ
合計: 85,000メティカシュ(約375円)

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2005年10月1日(土)
インド洋

 昨日の夜9時にペンバに到着したので見えなかったが、目の前にはインド洋が広がっていた。 やっぱり海はよい! カリバ湖、マラウィ湖より興奮した。

 7月25日にナミビアのスケルトン・コーストで大西洋を最後に見て以来、2ヶ月以上掛かってアフリカ大陸を横断してインド洋に出た。

 ペンバの町周辺を『ケムケム号』で見て回る。 町自体は何もなく素朴な感じだ。 町の周りは漁村になっており、イカや鯛、鯵などが水揚げされていた。

 昨日の疲れがあるので、1日のんびり過ごす。 宿でビールを飲んで、昼寝したり、浜辺でダラダラする。

今日の走行距離; 35.8km
今日の出費(2人分)
ディーゼル代: 1,694,000メティカシュ
タバコ: 50,000メティカシュ
外食費: 90,000メティカシュ
食費: 59,000メティカシュ
合計: 1,893,000メティカシュ(約8,330円)

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2005年10月2日(日)
イーリャ・デ・モザンビーク

 モザンビーク超暑い・・・ 特に朝が暑くて、起きると汗でびっしょり。 昼間も暑さでやる気をなくす。 考えたら、今いるペンバが今回の旅行で一番北の地点になるから赤道に近い。

 今回の旅行の最北東地点ペンバから、ゴールの最南西地点ケープタウンまでは直線距離では一番遠い。
 これ以上の北上は時間的に厳しいので、今日から寄り道をしながらケープタウンまでの帰路につくことにした。
 考え出すと限がないが、今いる場所からちょっと北上すればタンザニアがあって、アフリカ最高峰キリマンジャロや、マサイ族を見れる。 さらに北上すれば、もうそこはケニアだ。 こんな感じで考えればエジプトも近い気がしてくるけど、今回は全て諦める。
 これ以上の旅は『ケムケム号』では無理だ。 間違いなく死期が刻一刻と近づいているのは、運転していて分かる。

 午前11時ペンバを出発。 南下してモザンビーク島(Ilha de Mozambique)を目指す。 道路は全て舗装道路だ。 たまに大きな穴が開いていたりするのが気になる程度で、あとは順調だった。

 モザンビーク島は、モザンビーク人民共和国の国名の由来になった小さな島で、1991年に世界文化遺産に登録されている。 この島は、元々アラブの港として繁栄したが、1498年にバスコ・ダ・ガマが訪れ、1507年からポルトガル領になり、その後1907年までモザンビーク植民地の首都だった。

 ペンバからモザンビーク島までの距離は、一昨日走ったマルパからペンバまでの距離とほとんど一緒だ。 でも掛かった時間は半分以下だし、全然疲れない。 舗装道路最高!

 本土とモザンビーク島は3km離れているが、橋で結ばれている。 橋を渡る前に10,000メティカシュ(約45円)、橋を降りて島に入る前に再度10,000メティカシュ払わなければいけない。 島から本土に帰る時は無料だ。

 夕方で暗くなりかけていたので、モザンビーク島内で宿を探す。 島内の建物は15世紀から19世紀に建てられたボロボロの家ばかり(良く言えばレトロ)で、汚っぽい。 安宿の1軒に行ったが、テントを張るには狭いし、値段の割にイマイチ。 結局、また橋を渡って本土に戻り、橋の近くのキャンプ場にテントを張ることにした。

 モザンビークに入ってから、水道の蛇口をひねれば水が出たのはマルパのRumdel建設の宿営地くらいだ。 それ以外は全て井戸。 こんなに水で苦労するとは思わなかった。

今日の走行距離; 453.5km
今日の出費(2人分)
テント設営代: 300,000メティカシュ
外食費: 317,000メティカシュ
食費: 55,000メティカシュ
通行料: 20,000メティカシュ
合計: 692,000メティカシュ(約3,045円)





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