ついに『アゼルバイジャン共和国』にやって来た。
かつては『アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国』としてソビエト連邦に属していた国で、俺にとっては旧ソビエト連邦を構成した国では9カ国目に訪れた国になる。
先週の金曜日に、アゼルバイジャンの国境で追い返されてからひたすら待っていた月曜日。
午前中にアゼルバイジャン大使館に乗り込む。
対応次第では、どうしてくれようかな?と思っていたのだが、実際に行ってみると既に国境から(?)話が回っていたようで、俺の顔を見るなり領事が「(日本語で)すみません」、「アイム・ソーリー」を連発。
旧ソ連邦の国の役所では絶対に謝らないと思っていたので、意外だった。
「そちらのミスのせいで、時間とお金を無駄にした」とは言っておいたが、向こうも謝っていることだし、それ以上は言わないでおいた。 よっぽど対応が悪かったら、ナゴルノ・カラバフ問題(領土紛争)を持ち出して「こんな程度のミスをするようでは、アルメニアとの戦争に負けて当然だな」とでも言ってやろうかと思ってたんだけどね。 多分、ホントに言ったら絶対に激怒するはずだから、ビザ取り消しも覚悟の上だったけど。
ビザに領事のサインと、大使館のスタンプを押してもらい、これで晴れて“有効なビザ”になった。
これでアゼルバイジャンに入国出来る。
早速、移動を開始! 今回は、追い返された時とは違う国境を通ってアゼルバイジャンに入ることにした。 時間を無駄にしてしまったので、当初の予定とはルートを大幅に変更。
午後3時に、トビリシ駅前からマルシュルートカに乗って、クラースヌィ・モストという国境に向かう。
国境を徒歩で越え、『アゼルバイジャン共和国』に無事入国!
“グルジアとアゼルバイジャン”と聞くと、どっちも同じような感じだし、「どっちがどっちでも俺には関係ねーよ」と思っていたのだが、実際に国境をまたいで見ると結構違う。
まず、人が違う。 見た目から違うのだ。
グルジア人は東ヨーロッパにも普通にいそうな感じで、ほぼ白人だが、アゼルバイジャン人はイラン人と一緒。 民族的にはトルコ系らしい。 まぁ、簡単に言えば中東顔なのである。 「お前、日本で偽造テレカ売ってただろ?!」って奴がいっぱいいるのだ。
違うのは見た目だけではない。 人そのものも違うのだ。 グルジアではボラれることは、まずない。 買い物をする時に言葉が分からないから、ポケットの中のお金を全部出して「取って」と言えば、正直に取る。
ところがアゼルバイジャン人の場合は、商業民族の血を受け継いでいるのか?グルジア人と同じ感覚では付き合えない。
国境から乗ったマルシュルートカの運ちゃんも、相当なワルだった。
終点のガザフで、料金を払おうとして10マナト札(約1,340円)を出すと、「これでOK」と言う。 おいおい、運賃は2マナト(約270円)以下だろ? すると「お釣りがないから他の通貨でも良い」と言うので、ラリを出すと42ラリ(約2,880円)を取って「これでOK」と言い出す始末。
高くなってるじゃねーか、馬鹿!
俺の最少額紙幣が10マナトだったのも問題なのだが、なかなかお釣りをよこさない。 お釣りは持っているんだけどね。 最初は渋々2マナトのお釣りを出してきたが、少な過ぎる。 こっちも一歩も引き下がるつもりはないので、粘って5ラリのお釣りを貰ったが、それでもまだ。 ついには向こうも通りすがりのお爺さんを呼んで、彼に判定してもらうことに・・・
運が良いことに、お爺さんは俺の味方だった。 お爺さんと運ちゃんが「こんなお釣りの額では少な過ぎる」とか「外国人からは取れるだけ取るんだ」とかの、やり取り(想像)の末に8ラリのお釣りが返って来た。 本来は、1.何マナトだと思うが、もういいや。
でも、このワル運ちゃんのおかげで列車の出発時刻に間に合わないことが確定的となり、仕方がないから夜行バスで首都バクーを目指すことにした。
久しぶりに面倒くさい国に来ちゃった・・・
写真は、ソ連時代のポスター。 『ソビエトの為に、皆も戦おう!』的内容。
旅の出費;
タバコ: 3ラリ
食費: 8.5ラリ
外食代: 2ラリ
市内バス: 0.4ラリ
宿代(2泊分): 24ラリ
ミニバス(トビリシ→クラースヌィ・モスト): 4ラリ
ミニバス(クラースヌィ・モスト→ガザフ): 2マナト
バス(ガザフ→バクー): 8マナト
合計: 41.9ラリ+10マナト(約4,210円)
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