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ヨーロッパ旅行日記


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現在地はどこなの?

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聖カネヨ聖堂
2006年9月18日(月)
肉三昧

 今日は曇り空ながらも、なんとか雨は降らず。
 旧市街を散策してみた。 旧市街の中は、ほとんど坂道だし、道は石畳だし、歩くのもしんどい。
 まずはオフリド湖を見下ろすように建っている聖カネヨ聖堂(写真)に行き、続いて城壁のある要塞に行こうとしたのだが、道を間違えて林の中をウロウロする羽目に。
 これで晴れていたらいい散歩になったのにな。

 疲れた時は肉を食うのが一番!
 オフリドで見付けた、とっておきのレストランを紹介。 見た目は小奇麗なレストランで、入るのに度胸がいるけど、実はむちゃくちゃ安い!
 入り口に置いてあるボードにも、店内のメニューにも英語は一切なし。 文字はキリル文字だから全く読めない。 でも大丈夫。 ようはお肉屋さんと一緒で、ショーケースの中にある肉の中から自分の食いたい肉を選べばいいだけ。 後は勝手に調理されてポテトとサラダが付いて出てくる。 値段は量り売りだから、むちゃ安!
 豚肉が1kg610円〜855円(種類による)だったから、500gのステーキを食べても300円、400円の世界。 それにポテト、サラダ、パンがセット(100円)になって付いてくる。 これは自炊するよりも安い! しかも、旨いんだココの肉が!
 何を隠そう!ここは実はお肉屋さんが経営するレストランなのでした。
 場所は、Bulevar Turisticka通り沿いにある生鮮品市場の近く。 『PИMEC』ってお肉屋さんの隣にある。 レストランの名前はキリル文字で読めないから分からん。

 たまには他の旅人に役に立つ情報を載せてみました。

 明日にはマケドニアを出ることにした。
 とりあえず首都スコピエまでのバス・チケットは買ったが、明日はスコピエでそのまま乗り継いでコソボを目指します。

旅の出費(2人分)
食費: 169ディナリ
タバコ: 45ディナリ
外食代: 405ディナリ
宿代(3泊分): 48ユーロ
インターネット: 70ディナリ
バス代(オフリド→スコピエ): 860ディナリ
合計: 48ユーロ+1,549MKD(約10,990円)

セルビア語が消された道路標識
2006年9月19日(火)
コソボ自治州入り

 えー、ヨーロッパ3カ国目+1地域目となる『コソボ自治州』にやって来た。
 『コソボ』という名前を、何となく聞いたことがある人も多いと思う。 80万人を超える難民を出した紛争、“民族浄化”による虐殺、1999年のNATO軍によるユーゴ爆撃の原因も“コソボ問題”、最近では2004年にアルバニア系住民とセルビア系住民の衝突で死者が出たりなど、思いっきりネガティブなイメージで有名な場所です。
 ガイドブックによると、「強盗や窃盗事件が頻発しており、旅行者が訪れるような状態ではない」とか、「未だ沢山の地雷が埋まっている」とか書かれているけど、来ちゃってから読んだからもう遅い。 そういうことは先に教えてくれよなー・・・

 早朝7時半のバスでマケドニア・オフリドを出発。 一路、首都スコピエを目指す。
 こんなに早起きをしたのは久しぶりなんだけど、むっちゃくちゃ寒いです・・・ 冗談抜きで本格的な冬支度が必要と痛感。
 オフリドからスコピエまでは約3時間半で到着。
 スコピエのバス・ターミナルに到着して直ぐにコソボ自治州の州都プリシュティナ行きのバス・チケットを買った。 オフリドからのバスが着くのは国内バス・ターミナルで、国際バス・ターミナルはまた別にあるのだが、コソボ行きのバスはなぜか国内バス・ターミナルから出ている。

 スコピエから国境まではわずか40分ほど。
 国境に着いて、バスの乗客全員のパスポートが集められるのだが、若干1名が「パスポート忘れた」という事態が発生し、連れ去られていた。 その人、思いっきり軽装で小さなハンドバックだけしか持っていなかった。 ちょっと隣町に・・・というつもりだったのかな?
 なぜかマケドニア出国のスタンプは押されず、コソボ側に入る。

 コソボは一応『セルビア・モンテネグロ』という連邦の中の、『セルビア共和国』という国の中の、『コソボ自治州』という一つの州なのだが、その『セルビア共和国』とはウルトラ仲が悪い。 現在は国連の管理下にあり、セルビア共和国とは関係を絶っている。
 そんなわけで、コソボ側で押されるスタンプは『UNMIK』(国連コソボ暫定統治ミッション)のもので、国連のマークが入っている。

 国境から2時間で、州都プリシュティナに到着。
 コソボはイメージしていたような所ではなかった。 紛争、虐殺があった跡を見付けるのが難しいほどだ。 正直、拍子抜けした。
 その中で、コソボっぽいかなぁ〜?と無理して見付けたのが、道路標識。
 日本の高速道路にも、『トラックやバスは80km/h、乗用車は100km/h』と書かれたスピード制限の標識がある。
 それと同じで、コソボにも『トラックは70km/h、戦車は70km/h』と書かれた標識があった。 標識の絵が、トラックと戦車なの。 そんなに戦車が多いんかい!
 他はセルビア語とアルバニア語で書かれた道路標識(写真)。 アルバニア人の住んでいる町ではセルビア語が消され、セルビア人が住んでいる町ではアルバニア語が消されている。 写真は、バス・ターミナルの方向を告げる標識だが、セルビア語の方が消されている。

 その他は至って普通。 町中を歩いて見ても、高級車が多かったり、通りを歩いている若者もお洒落だったり、全然未だ不安定な地域であることを感じさせない。
 警察がやたら多いのと、国連軍の軍用車をよく見掛ける以外は、今まで行った国と変わらない。

旅の出費(2人分)
ビール: 2ユーロ
トイレ: 20ディナリ
タクシー: 5.6ユーロ
宿代(2泊分): 36ユーロ
食費: 5.72ユーロ+50ディナリ
国際バス(スコピエ→プリシュティナ): 11ユーロ
合計: 60.32ユーロ+70ディナリ(約9,220円)

プリシュティナの街並み
2006年9月20日(水)
日帰り観光

 日帰りでプリズレンという町に行って来た。
 アルバニアとの国境近く、州都プリシュティナからバスで約1時間半の距離にある。 一応、コソボの見所と言える町で、オスマン・トルコ時代のモスクとか橋がある。
 わざわざ行ってやったにも関わらず、結局見所が分からないまま帰ってきてしまった。 町をブラブラしたけど、どこが“美しい”のか分からん。 普通に東欧の田舎町って感じ。

 アルバニアから東欧に入ったが、大体どこでも現地人にジロジロ見られる。 彼らが田舎者のせいだと思うが、アジア人が珍しいようだ。 ロンリープラネットにも書いてあったが『黒人はかなりジロジロ見られる』らしい。
 ギリシャでのシカト感が心地よかった俺としては若干気になる。 アフリカよりはマシだけど、いい加減に俺のことは気にしないでもらいたいよね。 アフリカ、中東、東欧と、一部の大都会を除いてジロジロ光線は世界標準なのか?
 あと、俺は中国人じゃないんで、そこんとこよろしく。

 プリシュティナからプリズレンまでの道路沿いには、お墓が多い。 墓に故人の似顔絵を彫り込んでいるものがあったが、軍人が多いようだ。 そしてお墓にはアルバニア国旗がはためいている。

 中世にセルビアの領土になったコソボ。 その後、オスマン・トルコに占領されてイスラム化され、アルバニア人が多くなって独立しようとしているが、領土問題って何なのだろう? ずーっと日本の領土だった土地に外国人が住み着いて、徐々に日本人よりも人口の割合が多くなり、ついには独立しようとする。 その場合、どちらの言い分が優先されるのだろう?

旅の出費(2人分)
食費: 2.6ユーロ
外食代: 2.5ユーロ
ミニバス: 2.4ユーロ
バス代(プリシュティナ→プリズレン): 10ユーロ
バス代(プリシュティナ→ポドゴリッツァ): 36ユーロ
合計: 53.5ユーロ(約8,025円)

コソボの道路標識
2006年9月21日(木)
セルビア・モンテネグロ入り

 俺にとってヨーロッパ4カ国目となる『セルビア・モンテネグロ』にやって来た。
 6カ国で構成されていた『(旧)ユーゴスラビア』からクロアチアやスロベニアなど4カ国が独立。 残った『セルビア共和国』と『モンテネグロ共和国』の2カ国で、『(新)ユーゴスラビア』を結成するも、2003年に国名を変更してひねりも何も無い『セルビア・モンテネグロ』にした国。
 実際に入ったのは『モンテネグロ共和国』の方。 コソボが『セルビア共和国』と仲が悪いので、コソボ経由でセルビアに入ると密入国扱いをされて面倒なことになるから、今回はセルビア共和国を避けてモンテネグロ共和国に入った。
 ここら辺の国ってすげーややこしい・・・

 最近の『セルビア・モンテネグロ』の歴史は戦争ばっかりですよ。 問題児はセルビアくん。
 “大セルビア主義”の影響か、スロベニアの独立に絡んで戦争、クロアチアの独立に絡んで戦争、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立に絡んで戦争、コソボで戦争、全部セルビアが関係した戦争。 終いにはNATO軍に爆撃されてるし。
 モンテネグロも、『セルビア・モンテネグロ』からの独立を狙っているらしく、今後どーなることやら・・・

 『セルビア・モンテネグロ』の小難しい血塗られた歴史は置いておいて、1994年のヨーロッパ史上最強“ハイパー・インフレ”というのが面白い。
 ただのインフレじゃなく、ハイパーの付くインフレ! どれだけのハイパー度か?と言うと、なんと1ヶ月で300万倍の物価上昇だって・・・ 100円のジュースが、1ヵ月後には3億円出さなきゃ買えない位のハイパーだ。 逆に言えば、3億円持ってた人も1ヵ月後には100円相当の物しか買えなくなっちゃったわけ。
 ま、お金が紙屑になったということで、壁紙を買うよりも、お札を壁紙にした方が安く済んだらしい。
 お札を壁紙って・・・趣味悪ーい。

 セルビア・モンテネグロに入るまでの道のりは・・・
 夜8時発のバスに乗り込んでコソボの州都プリシュティナを出る。 コソボは国ではないから国境と呼んでいいのか知らないが、約3時間後に国境に到着。 パスポート・チェックはあったが、出国スタンプは無し。
 モンテネグロ共和国側にも一応国境があったが、入国スタンプは無し。

 写真は、コソボの道路標識。 戦車に乗ってコソボに行く人は、法定速度を順守して下さい。

旅の出費(2人分)
外食代: 2ユーロ
トイレ: 0.2ユーロ
食費: 2.29ユーロ
タクシー: 7.3ユーロ
合計: 11.79ユーロ(約1,770円)

コトールの街並み
2006年9月22日(金)
クロアチア共和国入り

 わずか20時間ほどで『セルビア・モンテネグロ』を出国! ヨーロッパ5ヶ国目となる『クロアチア共和国』にやって来た。

 早朝4時にモンテネグロの首都ポドゴリッツァに到着。
 ここからの旅のルートについて迷った挙句、一気にモンテネグロを抜けてクロアチア共和国に入ってしまうことにした。
 クロアチアとの国境の町ヘルセグ・ノビまでのチケットを買い、早朝5時発のバスに乗り込む。

 徐々に陽が登り、回りの景色が見えてきた。
 バスが険しい峠を越えると、眼前にアドリア海が姿を現した。 びっくりする位、穏やかな海だ。
 バスはアドリア海沿いに国境の町ヘルセグ・ノビを目指す。 その間の景色はかなりキレイで、ドライブに最適だと思った。
 首都ポドゴリッツァから約3時間で、ヘルセグ・ノビに到着したが、意を決してまた来た道を戻ることにした。
 モンテネグロのアドリア海沿いは、険しい山々の下に小さな町々が点在している。 海から浜辺もなく、いきなり崖になってそそり立つ山が印象的な景色だった。 それがクロアチア側に近づくにつれて、山が険しさを失くし、丸みを帯びてくる。
 アドリア海沿いだったら、モンテネグロ側もクロアチア側も一緒だろ?と思って、モンテネグロを飛ばすつもりだったが、やはりモンテネグロにはモンテネグロの景色があった。

 来た道を戻ること1時間半、コトールでバスを降りる。
 ここは、自然と文化がUNESCOの世界遺産にも登録されている。 標高1749mのロヴツェン山の麓にある旧市街は小さいながらも風光明媚だ。
 崖に這うようにして造られた城壁を登って、上からコトールの町を見下ろしてみる(写真)。 手前の三角形の城壁に囲まれた町が旧市街だ。

 アルバニア、マケドニア、コソボと、天気が良くない日々を送っていたが、アドリア海沿いに出て来た途端、真っ青な空が見える。 気温もぐんと上がって27度。
 この天気だったら泳げるかも・・・

 コトール旧市街を散策した後は、またクロアチアとの国境に戻る。
 昨日コソボを出てからほとんど寝ていないから、眠過ぎてフラフラしてきた。
 モンテネグロのヘルセグ・ノビから、クロアチアのドブロヴニクに向かう国際バスに乗り込む。
 国境では、モンテネグロの出国スタンプも押されず、クロアチアの入国スタンプも押されず少し寂しかったが、コソボから入った事は全く問題にならなくて助かった。

 夕方4時半に、ドブロヴニクに到着。
 コソボを出発してから20時間半が経過していた。

旅の出費(2人分)
ビール: 1ユーロ
トイレ: 0.5ユーロ
切手代: 0.8ユーロ
食費: 1.05ユーロ+83.57クーナ
バス代(ポドゴリッツァ→ヘルセグ・ノビ): 16ユーロ
バス代(ヘルセグ・ノビ⇔コトール): 8ユーロ
バス代(ヘルセグ・ノビ→ドブロヴニク): 18ユーロ
合計: 45.35ユーロ+83.57クーナ(約8,510円)

ロヴリジェナク要塞とボカール要塞
2006年9月23日(土)
アドリア海の真珠

 UNESCOの世界遺産に登録されているドブロヴニク。 『アドリア海の真珠』とか『地球のパラダイス』と呼ばれている、美しい海と城壁に囲まれた旧市街のある町だ。
 1991年のクロアチア独立戦争の際に、セルビア主導のユーゴスラビア連合軍の攻撃にさらされたが、今は戦争の跡を見付けるのが難しいほど修復されている。

 ドブロヴニク旧市街の特徴は、海に突き出ていること。 そして、その海がエメラルドグリーンで美しい。 その旧市街は全て城壁に囲まれている。
 その城壁の上を歩いて旧市街を見下ろしながら1周することが可能だ。 入場料が50クーナ(約1,020円)もするのが痛いけど、約2kmもあることを考えれば、まぁー仕方がないか・・・
 城壁には4つの要塞があり、それぞれから眺める景色がキレイだ。
 一番大きなミンチェタ要塞からは、旧市街全体と海の先にあるロクルム島が一望出来る。
 写真の右側はボカール要塞、外にあるのはロヴリジェナク要塞だ。
 旧市街の方を見渡せば、オレンジ色の瓦屋根の家々が密集しているのが見える。 その間を細い路地が通っている。

 これだけの景色だったら観光客が多く訪れるのも当然。 ドブロヴニク旧市街には、ヨーロッパ中からの観光客で溢れていた。 日本人観光客も数こそ少ないものの、ちらほら見掛けた。 なぜか、おばちゃんが多い・・・

 時間とお金に余裕があれば、数ヶ月滞在してもいい町かも。 今の俺には時間はあるが、お金がない・・・

旅の出費(2人分)
ビール: 57クーナ
食費: 18.4クーナ
市内バス代: 56クーナ
城塞入場料: 100クーナ
インターネット: 40クーナ
合計: 271.4クーナ(約5,540円)

ドブロヴニク旧市街・プラツァ通り
2006年9月24日(日)
ドブロヴニク周遊

 スクーターを半日レンタルした。 国際免許証を持っていないのに、カッパドキア(トルコ)、ロードス島(ギリシャ)に続いてクロアチアも制覇です。 警察に捕まった時は、やっぱり無免許運転になるのかな?

 まずは、ドブロヴニク市内を出て東に10分ほど行った。 ここからの景色は、エメラルド・グリーンの海の先に旧市街が見え、さらにロクルム島も見え、と景色抜群。
 さらにスルディ山に登る。 以前はロープウェイで行けたのだが、クロアチア独立戦争の際にユーゴスラビア連合軍に破壊されてしまっている。 ここからは、旧市街を真上から見下ろすことが出来る。 また、真っ青な空と砲撃で破壊されたロープウェイ駅の構図が何とも不思議な感じだ。 スルディ山では、「無闇に脇道に入るな」と注意された。 まだ地雷が埋まっている可能性があるとのこと。
 一番、旧市街が美しく見えたポイントは、スルディ山に登る道の途中。 ここからの角度が一番良かった。

 ビーチにも行った。 日中の気温は26度で、暑い。 でも、夜になると急激に気温が下がって半袖では過ごせないほどになる。 もう今年最後のビーチかな・・・

 夜は夜で旧市街散策。 プラツァ通り(写真)が旧市街の目抜き通りになり、日中はオープンカフェが出ていつも賑わっている。

 一日ドブロヴニク満喫ツアーを自己開催して、お腹一杯。 明日には『ボスニア・ヘルツェゴビナ』の首都サラエボに移動! 先週から鬼のような高速移動の連続です。

旅の出費(2人分)
食費: 50.4クーナ
切手: 23.2クーナ
ガソリン代: 10クーナ
宿代(3泊分): 480クーナ
レンタル・バイク: 100クーナ
国際バス代(ドブロヴニク→サラエボ): 320クーナ
合計: 983.6クーナ(約20,350円)





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