
フィリピン旅行記
旅行先で出会ったフィリピン人たち

最初にフィリピンに行ったのは1997年、18才の時。
東南アジア5ヶ国を旅行した後に乗ったパキスタン航空の、バンコク発・マニラ経由・東京行きのストップオーバーで、フィリピンをほんの少しだけ旅行した。
2回目のフィリピン旅行は1999年。
インドネシアを旅行していて、ちょうどボルネオ(カリマンタン)島を1周していた時、インドネシア領からマレーシア領に入ったところで、サンダカンという町からフィリピン・ミンダナオ島ザンボアンガまでの定期船があるのを知って、寄り道をすることにした。
最初、フィリピンに行く前に治安について色々なことを聞いていたので、正直ビビっていた。
バンコクで「日本に帰る途中にフィリピンに寄って行く」と言うと、他の旅行者に色々と脅かされたりした。
後になって思うのだが、フィリピンにしても、南アフリカにしても、実際に行ったことがない人の助言は、所詮又聞きの情報が元になっており、誇張されている場合が多く、信憑性に欠ける。
ただ外務省の渡航情報で、共産党新人民軍(NPA)、モロ・イスラム解放戦線(MILF)、アブ・サヤフ・グループ(ASG)、モロ民族解放戦線(MNLF)が活動しているミンダナオ島に『渡航延期勧告』、フィリピン全域に『注意喚起』が出ているのは事実。
MILFやASGはアルカイーダとも繋がりがあるそうだ。
実際、ミンダナオ島では日本人はおろか、外国人の旅行者に一人も会わなかった。 “一人も会わなかった”と言ったらウソになるな・・・
ダバオの日本領事館に遊びに行った時は、日本人のおっさんとフィリピン人のお姉ちゃんが婚姻届を出すべく列を作っているのに遭遇した。
日本人のおっさんたちは確かに旅行者だった。 だって「お姉ちゃんに日本のビザを発給してちょうだい」って言ってから。
ビビっていた最初の旅行ではマニラには滞在せず、ルソン島の北東にある“ハンドレッドアイランズ(Hundred Islands)”に直行することにした。
空港からジープニーに乗ってLRT(高架鉄道)のバクララン駅に向かい、LRTでドロテオ・ジョセに行く。
ここにあるレクト・バスターミナルから、『フィリピンラビットバス』でルソン島西海岸にあるアラミノス(Alaminos)という町に向かう。 マニラからアラミノスまでは約5時間で行ける。
アラミノスからは、トライシクルと呼ばれる乗り物で、ハンドレッドアイランズの拠点となるリンガエン湾の町ルカップに行く。
ところがルカップは観光地だけあって、安宿がないのには困った。
ツーリストオフィスに行って事情を説明すると、オフィスのお兄さんが「オフィスで寝るんだったら、タダでいいよ」と言ってくれた。
好意に甘えて、オフィスのソファーを寝床にする。
ところが早朝6時には「仕事が始まるから」と、叩き起こされるのには困った・・・ タダだから文句は言えない。
ボートに乗って、ハンドレッドアイランズのラゾン島に向かう。
エメラルドグリーンの海に、真っ白な砂浜が南国リゾート気分にさせてくれる。
泊まっている場所は、ツーリストオフィスのソファーだけど・・・
ラゾン島は人が多くなってうるさくなってきたので、ボートで誰もいない無人島に行く。
“ハンドレッドアイランズ”だけあって、島なんて幾らでもある。 気に入った島を独り占め出来るのだ。
ただ、食料とか水とか日除けなど準備してから行った方が良い。
何も準備していかなかった俺は、お腹は空くし、のどは渇くし、暑いし、飽きてくるしで大変だった。
夜には、ツーリストオフィスのお兄さんアルバートに飲みに連れて行ってもらう。
かなりローカルな飲み屋で、日本人がその店に来たのは初めてらしく、皆に歓迎されてしまった。
ママに「日本に連れて行って」と絡まれて大変だったが・・・
皆いい人たちで、フィリピンのイメージが変わってきた。
しばらくルカップに滞在した後は、アルバートの実家にホームステイすることになった。
アルバートに連れられて、ルカップからローカルバスで1時間半ほどのところにあるダグパン(Dagupam)という町に行く。
アルバートの家は木造の高床式の作りで、そこに11人で住んでいた。
ここでも皆は陽気で、そんな彼らに温かく歓迎されて嬉しかった。
ただ難点は彼らの朝が早いということ。 朝6時には、人から犬からニワトリからうるさい・・・
ダクパン滞在中に、アルバートの弟フィリップに連れられて、日本軍とアメリカ軍が戦った場所を見に行った。
戦車の残骸が、サビだらけの状態で放置されている。 確かフィリップと神風特攻隊や零戦の話しで盛り上がった記憶がある。
数日経って、家で朝食を取っている時にアルバートが「マニラまで送って行ってあげる」と言い出した。
何度も断ったが、彼は自分の言ったことを曲げない。
翌日の午前9時に家を出て、『ヴィクトリー・ライナー』社のバスに乗ってマニラに向かう。 所要5時間でマニラに到着。
そこからガイドブックに載っている安宿に向かうが、場所が分からず2時間も道に迷う。
途中、アルバートとタクシーに乗るか乗らないかでケンカしたが、結局彼は宿まで送り届けてくれて、俺がチェックインしたのを見届けると、直ぐにダグパンに戻って行った。
見ず知らずの旅行者を自分の仕事場に泊めて、さらに自分の実家に何泊も泊めて、食事を提供して、飲みに連れて行って、片道5時間掛かるマニラまでわざわざ送ってくれたアルバートは、俺からは一切お金を受け取ろうとしなかった。
“旅行で知り合った親切な人には注意”という鉄則が頭から離れず、宿で一人になるまで彼を心からは信用していなかったが、一人になってから自分の礼が足りなかったかな?とすごく後悔した。
俺のフィリピンの印象はこの最初の旅行、というかアルバートによるものが大きい。 フィリピンの国自体には正直興味は湧かなかったが、フィリピン人の明るさと優しさにハマってしまった。
2回目のフィリピン旅行は、インドネシア旅行中から考えていた。
インドネシア国営船会社ペルニの航路図を見ると、スラウェシ島からサンギヘ島、タラウド島を経由してフィリピンのミンダナオ島ダバオに行く船が載っていたのだが、ペルニのオフィスで聞くと「その航路はもうなくなった」と言われて諦めていた。
ところがボルネオ(カリマンタン)島からマレーシアに入って、サバ州サンダカンという町に行くと、フィリピンのミンダナオ島ザンボアンガまでの定期船が出ていることを知り、早速チケットを購入した。
『Aleson Shipping Lines, Inc.』という会社で、毎週火曜と木曜の夕方5時発でサンダカン→ザンボアンガ、毎週月曜と水曜の昼12時発でザンボアンガ→サンダカンの定期船を出していた。
所要時間は16時間。
料金は、エコノミーが50リンギット(約1,500円)、エアコン部屋が60リンギット(約1,800円)、キャビンが80リンギット(約2,400円)だ。 もちろんエコノミーを買う。
港へ行くと、すでにフィリピーナでごった返していた。
マレーシアの出国手続きを済ませて、『レディ・メリー・ジョイ2号』に乗り込んで驚いた。
乗船すると直ぐに、大きく貼られた“徳島観光地図”が目に入った。 その横には“日清カップヌードル”の自動販売機もそのままで置かれている。 さらにその横には“記念メダル刻印機”が鎮座していた。 な、なつかし過ぎる。
マレーシアからフィリピンに行く記念に、徳島観光記念メダルを作ろうかと思ったが、さすがに電源も入っておらず作れなかった。
そう、『レディ・メリー・ジョイ2号』とカッコいい名前が付いているこの船は、徳島と大阪を結ぶ定期カーフェリー『あきつ丸』の払い下げだった。
購入した“エコノミー”に行ってさらにビックリ。
カーフェリーの“カー”の部分一面に2段ベッドが並んでいる。 甲板なので風が吹き抜けるが、南国の湿りを含んだ生温かい風だから寒くはない。
船内を探索してみると、日本で使われていた時には“エコノミー”として使われていたであろう雑魚寝部屋が、“エアコンルーム”という立派な名前を付けられて使われていた。
船内を警備員だろうか、警察だろうか、6、7人ライフル銃を持って見回りをしている。 彼らを見ていて「フィリピンに行くんだ」という気持ちになってきた。
マレーシア・サンダカンを出た翌日の朝9時50分、元『あきつ丸』はフィリピンのザンボアンガ港に着く。
船内でフィリピンの入国スタンプをもらい、日本の地方客船から国と国を結ぶ“国際船”に昇格したカーフェリーに別れを告げ、フィリピンに上陸する。
港から市内まで歩いて、ウロウロ安宿を探していると、おばさんが声を掛けてきた。
安宿を探していることを伝えると、一緒になって探してくれた。 さらにシティバンク・カードでお金を引き出せるATMも探してくれた。
聞くと、おばさんはザンボアンガの高校で英語の先生をしているそうで、どうりで英語が上手いと思ったわけだ。
コーヒーをおごってもらいながら、今後の予定を聞かれたので、ミンダナオ島をバスで北上してレイテ島に渡るつもりだと言うと、おばさんに思いっきり反対されてしまった。 ザンボアンガ市外にも出ない方がいいと言う。
特にミンダナオ島のコタバト(Cotabato)周辺が一番危険で、モロ民族解放戦線(MNLF)がゲリラ活動をしており、外国人を標的とした誘拐事件も度々起こっていると言う。
そこで、おばさんに勧められるがまま、ザンボアンガからダバオまでは船で行くことにし、チケットの購入を手伝ってもらう。
ザンボアンガで泊まった宿は、その名も『帝国ホテル(Imperial Hotel)』!
名前だけは立派だが、部屋の中を特大のゴキブリが我がもの顔で徘徊し、雨が降るとベッドの上に雨漏りのするただの連れ込み宿だ。
監獄のような部屋のくせに、1泊190ペソ(約570円)もした。
ザンボアンガを歩いていると、よく美容院が目に付く。 しかし働いているのは、必ずと言っていいほどオカマだ。 しかもキレイなオカマではなく、筋肉隆々のオカマだったりする。
インターネットカフェも市内に沢山あった。 もちろん日本語の読み書きなど出来なかったが、1時間30ペソ(約90円)と安い。
大した見所もないザンボアンガに、スペイン統治時代に作られた砦があるというので見に行ってみた。
『フォート・ピラー』という名の砦だったが、想像していた通り大したことはなかった。
3日ほどザンボアンガに滞在した後、ダバオ(Davao)へ船で向かう。
『WG&A』という会社の『スーパーフェリー1号』に乗り込む。
ザンボアンガからダバオまでは495ペソ(約1,485円)、22時間ほどの船旅になる。 元『あきつ丸』より大きく、船内にはヘアーサロンまである。
夜、甲板で涼んでいるとオカマに声を掛けられた。
彼女(?)は秋田と青森でダンサーをしていたことがあると言う。 「俺は秋田出身だぜ」ということで、意気投合はしていないが彼女に誘われるがまま、彼女の寝ている場所に遊び行く。
彼女の隣のベッドの女性(多分、本物)は長野でホステスをしていたことがあるらしく、日本語がペラペラ。
彼女たちに食べ物をもらったり、旅で必要なタガログ語を教えてもらう。
彼女たちにしても、19才の日本人がミンダナオ島にいることに興味を持ったらしく、「なぜフィリピンに来たのか?」、「フィリピンのどこに行くのか?」矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
1回目に会ったアルバートを引き合いに出して、俺のフィリピンの印象を説明する。
質問に答えるばかりも大変なので、彼女たちに日本の印象を聞いてみた。
日本はお金を稼ぐ場所、というのが彼女たちの一致した意見であり、さらに日本人の男は全てスケベだ、という意見も一致していた。
全く同じ話をタイ人の女の子たちからも聞いたことがある。
ここは日本男児を代表して、彼女たちに日本人全てがスケベではないという事をビシッと教えてやらないといけない。 と思ったが、止めた。 俺が言っても説得力がなく、彼女たちの身をもって実感した意見の方がはるかに説得力がある。
翌日の朝も、昨日とは別なオカマに声を掛けられた。
支給される朝食を食べ逸れていた俺は、「食べ物をあげる」という甘い誘いにノコノコと彼女(?)の部屋に付いて行く。
部屋に入ってしばらくは普通に雑談したり、タガログ語を教えてもらっていたのだが、突然彼女が「キンタマ、カット」と言いながらにじり寄って来るではないか!
俺のキンタマをカットするためににじり寄って来たのか?、「私にはキンタマがないから女と一緒よ」という意味でにじり寄って来たのか?は不明だったが、急いで部屋を飛び出した。
臆病者だ、と思う人がいるかも知れない。 でも見た目が100%男で、しかもちょっと逞しい男で、自分は女だと思い込んでいる人がいたとする。 その人が顔を近づけてきた時に、アゴに剃り残しのヒゲが数本あるのを見た時、逃げ出さずにいれるだろうか?
『スーパーフェリー1号』は、午後3時ごろダバオのササ港に入港する。 港から市内までは、ジープニーで40分、5ペソ(約15円)。
宿はサンペドロ通りの『レ・ミラージュ・ファミリーロッジ』に、1泊140ペソ(約420円)でチェックインする。

ダバオでは、日本領事館やDOT(Department of Tourism)に行って、ミンダナオ島の治安状況を確認した。 それによると、ダバオからミンダナオ島の北にあるスリガオまではバスで旅行しても問題なさそうだ。
日本領事館に行って面白かったのは、来ている人たちがかなり年のいっている日本人の男と、フィリピン人の若くて可愛い女の子ばかりだったことだ。
結婚するから日本のビザをおくれと、窓口で言っているのが聞こえた。 頑張れ、日本の親父!
ダバオからは、ブトゥアン(Butuan)経由スリガオ(Surigao)行きのバスに乗り込む。 エアコン無しで235ペソ(約705円)。
車窓から見る景色は、バナナやココナッツのプランテーションだったり、ジャングルだったりと見ていて飽きない。
約11時間掛かってスリガオに到着。
『ガルシアホテル』に1泊100ペソ(約300円)でチェックインする。 ベッドがジメジメ湿っていて、何かいそうな気配。
何もないスリガオで数日間ダラダラと過ごす。
朝はホテル向かいのベーカリーショップで、一つ1ペソ(約3円)のパンとコーラで朝食を取り、ボーっとして、昼食。 その後ボーっとして、夕食という生活を送っていた。
ある日、いつものように夕食を取ろうと思い食堂に入ってメニューを見ていると、「ハロハロ」という名前を見付けた。 なんだかハワイを連想する素敵な名前ではないか。 今晩のディナーはこれだ!と注文すると、出てきたのはカキ氷・・・
ガルシアホテルは、ベッドに何も住み着いていなかったのはいいが、夜になると隣の部屋、向かいの部屋からベッドの軋む音、女性の喘ぎ声が聞こえ、非常に健康に良くない。
フィリピンの安宿は、どうしても連れ込み宿になってしまうから仕方がないとは言え、やっぱり精神上も良くない。
トライシクルに乗ってスリガオのリパタ・フェリーターミナルへ向かう。
トライシクルは、簡単に言うと改造サイドカーのことだ。 ここからレイテ島リロアン(Liloan)までのフェリーが出ている。
このフェリーは月曜日から土曜日までの毎日夕方5時に出ている。 リロアンには3時間半後の8時30分に到着し、料金は60ペソ(約180円)だ。
船内は人がいっぱいだったので甲板にいると、フェリーと競争して泳ぐイルカの群れがいた。 たまにジャンプしたりして可愛い。 実際に野生のイルカを見るのは、これが初めてだった。
短い船旅をそれなりに楽しんでいると、ダバオから来たという大学生7人に囲まれた。 そして俺を中心にして、いきなり賛美歌を歌い出すではないか!
他の乗客の好奇の目もあり、非常に恥ずかしい。 聞くと、彼らは合同結婚式で有名な統一教会の信者で、伝道しながらフィリピンを旅行しているそうだ。
フェリーがレイテ島リロアンに着くのは、夜8時半だ。
これからどうしようと思っていると、先ほどの統一教会の信者たちに「私たちと一緒にタクロバンまで行きましょうよ」と誘われ、彼らにくっ付いて旅行してみることにした。
ちなみに、リロアンではフェリーの到着に合わせてタクロバン(Tacloban)、オルモク(Ormoc)などへのバスが出ている。
統一教会たちとタクロバン行きのバスに乗り込み2時間ほど経った夜11時過ぎ、突然ガラスの割れる大きな音がして、それと同時にバスも急停車する。
後部座席で寝ていた俺にもガラスの破片が降ってきたので、ビックリして起きると、バスの中ほど左側のガラスが割れ、おじさんが腕から血を流して通路に倒れている。
状況がイマイチ読み込めず、ポカンとしている俺をよそに、運転手ほか男の人数人がバスを降りて暗闇にピストルを撃っている。
今まで俺の隣でマヌケ面で寝ていた冴えないおっさんまで窓からピストルを撃っているではないか!
思ったよりワイルドなおっさんだったみたい。
共産党新人民軍の襲撃かとも思って身を伏せるが、暗闇から撃ち返して来る気配はなく、運転手たちもバスに戻ってきた。
血を流していたおじさんも生きていたようで、乗客に包帯を巻いてもらいながら悪態をついている。
興奮冷めぬままタクロバンに着いたのは、深夜12時半。
行く場所もないので、誘われるがまま統一教会の施設に行く。
タダで泊めさせてくれるというので、統一教会に何泊かお邪魔することにした。
別々の部屋に男女別れて雑魚寝する。
部屋には合同結婚式の写真や、韓国人教祖文鮮明の特大写真が貼られている。
タダで泊めさせてくれるのはありがたいが、早朝5時からお祈りをしていて寝れたもんじゃない・・・
彼らとは色々な話をした。
スリガオから一緒だった大学生の女の子は、今度日本人と結婚すると言っていた。 見せてもらった彼女の写真の裏には、彼女の名前と住所、年齢19才、入信歴3年といった情報と共に、バーコードが無機質に貼られていた。
コンピューターが結婚相手をビンゴみたいに選ぶのだろうか?
皆と一緒にレッドビーチに行く。
ビーチが赤いわけではない。 太平洋戦争の時のコードネームなのだそうだ。
そこにはマッカーサー元帥の銅像が建っている。 日本軍がフィリピンに攻めて来て、マッカーサーがアメリカに逃げ帰る時に「I shall return」と言い残して行ったのが、ここタクロバンのレッドビーチなのだ。
関係ないが、知らない間に皆に「ブラザー」と呼ばれているのがちょっと気になる。
レッドビーチから帰ってくると、統一教会のセミナーなるものに参加させられる。
セミナーは全く理解出来なかったが、最後に質問を求められたので、色々と質問をしてみた。
まずは合同結婚式について、「結婚した後に、相手とはどうしても合わない時はどうするの?」と聞くと、確か「1年後には」と言っていた記憶があるが、いずれにしても離婚できるらしい。
だが、それでは仮にもキリスト教団を名乗る団体が、聖書の教えに沿っていないことになる。
聖書では不倫以外の理由での離婚は認めていないはずだ。 そこら辺を突っ込んで質問すると、色々答えは返ってくるがどれも論理的ではない。
さらに文鮮明の写真に向かって、イスラム教のようなお祈りをしていたが、聖書では偶像崇拝を禁じているはずだ。 すると、「文鮮明様はイエス・キリストの再来だから良い」という。
仮にキリストの再来だとして、本物のキリストは裸に鞭打たれ、最後は磔にされて死んだのに、再来のキリストはリムジンに乗り、自家用ジェットを所有している。 行動が矛盾している。
彼らのどんな答えも説得力がなく、矛盾点を突っ込めば突っ込むほど、困っている様子だった。
最後には、「君は是非さらにハイクラスのセミナーに参加すべきだ」と言われ、今度はこっちが困った。
断ると「出て行ってくれないか」と言われたので、次の日にタクロバンを出ることにした。
統一教会の施設を出て、バスに乗り込みタクロバンを出発する。
バスは2時間半でレイテ島西海岸の町オルモクに到着。 バスターミナルの横が港だったので、直ぐにセブ島セブシティ行きのレギュラーボートのチケットを買う。
エコノミークラスで90ペソ(約270円)だ。 オルモクからセブシティ行きは、1日6〜7便スピードボートが出ているが、スピードボートの1/3から1/4の運賃のレギュラーボートは1日1便しかない。 11時出港のレギュラーボートに乗れてホッとする。
4時間半でセブシティに着く。 町の本屋でガイドブックを立ち読みして情報収集した結果、YMCAが一番安そうだったので、YMCAのドミトリーに1泊125ペソ(約375円)で泊まることにする。
ドミトリーと言っても、ダブルルームだから誰も来なけりゃシングルみたいなものだ。
色々な国を旅していると、面白い事に気付くことがある。
その一つに、旅行者が聞かれる質問がある。
フィリピンを旅行していて会う人がほぼ皆聞いてくる質問が、「連れはいるか?1人か?」である。
ところがインドネシアに行くと「どこから来た?」になるのだ。
日本を訪れる外国人も、日本人たちから決まって同じ質問をされるという。 ある意味、国民性が出るのだろうか?
セブシティに滞在中のある日、リトという大学生の男の子と知り合った。
ジープニーの中で会っただけなのだが、彼の家に連れて行ってあげると言われ、翌日YMCAで待ち合わせをする。
約束の時間にきちんと来た彼と一緒に、ジープニーに乗ってマンバリン地区に行く。 俺の目にはスラム街に映る街並みで、さすがに通りでカメラを出す気にはなれなかった。
最初に彼の叔父さんの家に連れて行かれる。 家族が全員出てきて、親切にもてなしてくれ、朝食と昼食までご馳走になる。
叔父さんの家に、フィリピン人とドイツ人のハーフだというロジェリオという可愛い子がいた。 皆に冷やかされながらも、きちんと住所交換をする。
リト、ありがとう。
午後からロジェリオと2人でデート。
バナワ地区にある『天の庭』に行く。 ここでは、キリストの死の苦しみを自ら体験しようとする人が十字架に打ち付けられるらしいのだ。 もちろん手の甲と足の甲にクギを打つらしい。
『天の庭』は丘になっており、デコボコの山道が丘の上まで続いている。 道の所々には、キリストが十字架を運んでいるモニュメントが幾つもある。
つまり上に登って行くほど、キリストが歩いたと同じような道を体験出来るというわけだ。
ものすごい数の人がお参りに来ていた。 丘の一番上には、十字架に磔にされたキリストのモニュメントがある。
ところがどこを探しても磔にされている人がいなかったので、帰ってきた。
セブシティでは、アルバートとも知り合った。
1回目の旅行で知り合ったハンドレッドアイランズのアルバートとは別人だ。
アルバートには『アヤラ』という巨大ショッピングモールに連れて行ってもらったり、『フォート・サンペドロ』というフィリピンで一番古い砦や、マゼランが建てたという十字架などを案内してくれた。
さらに、イミグレーションに知り合いがいるというので、連れて行ってもらいビザの延長手続きをする。 その場で延長してくれるのが760ペソ(約2,280円)、1週間掛かるのが510ペソ(約1,530円)だと言うので、迷わず安い方を選ぶ。
本屋でロンリープラネットの『フィリピン』を立ち読みし、必要な情報をノートに書き写す。 本屋の親父が嫌な顔をしているが、知ったことではない。 ガイドブックに載っていたボラカイ島が良さそうだったので、次の目的地をボラカイ島に決定。
セブシティのバスターミナルから、セブ島を横断してトレドに向かうバスに乗る。
わずか2時間の旅で、26ペソ(約78円)だったが、窓の付いていないバスだったので埃まみれになる。
トレドに着いて直ぐに、ネグロス島サンカルロス行きのボートのチケットを買う。 ノンエアコン席が満席だったので、エアコン席を95ペソ(約285円)で買って乗り込むが、全くエアコンが効いていない。
トレドからサンカルロスまでは、たったの40分。
珍しく気合入りまくりだった俺は、サンカルロスの港で待っていたバスにそのまま乗り込む。 ネグロス島を横断して西海岸の町バコロド(Bacolod)に向かうためだ。 道中の景色はサトウキビ畑一色。 なんでもサトウキビ畑としては世界最大の広さがあるらしい。
約4時間でバコロドに到着。 『ハリリイン』という宿に1泊100ペソ(約300円)で泊まる。
ネグロス島バコロドから、パナイ島イロイロシティ(Iloilo)へは4つの会社がスピードボートを走らせている。
一番安いのはBullet Expressで、大人130ペソ(約390円)だが、バンコクで作った偽学生証を出すと110ペソ(約330円)に下がった。 朝5時半から夕方5時までの間に8便が出ている。 Bullet
Expressの他には、Negros Navigation(NN)がジェットフォイールを出しており、こちらは195ペソ(約585円)だが、やはり偽学生証で160ペソ(約480円)になった。
せっかくだし、ジェットフォイールに乗ってみたかったので、NNのチケットを買う。
これは今まで乗ったことのあるボートの中で、一番立派かも。 しかも速い!
わずか1時間ちょっとでパナイ島イロイロシティに着いてしまった。
なんだかその日の内にボラカイ島に行けそうな気がしたので、港からバスターミナルに直行し、カティクラン行きのバスに乗り込む。
これは7時間掛かった。 カティクランに到着すると、バスの到着を待つボートがいる。 なんて連結がいいのだろう?! カティクランからボラカイ島まではわずか20分弱。
ついにやって来たボラカイ島は、期待を裏切らない景色だった。
青い空、白い砂、エメラルドグリーンの海、そして椰子の木。 イメージ通りの南国リゾートだ!
宿は、ホワイトビーチまで徒歩2分の『New Village』に1泊400ペソ(約1,200円)で泊まる。 今までの宿と比べると4倍近くも高いが、ボラカイの景色が俺を太っ腹な気分にさせたようだ。 部屋もキレイだし、ビーチまで直ぐなのも嬉しい。
毎日、砂浜で体を焼いたり、泳いだり(正確には、泳げないから水との戯れ)、海辺のオープンバーでサンミゲル・ビールを飲んで過ごす。
確かに、ハンドレッドアイランズや、インドネシアのリユンも同じくらい海がキレイだったし、後に行ったマレーシアのティオマン島や、モルディブもまたキレイだったが、ボラカイ島はまた別だ。
海の色とかではなく、雰囲気が好きだ。 海辺沿いに立ち並ぶオープンバーでダラダラとビールを飲む雰囲気に、ボラカイ島がぴったりなのだ。 程々に何かあり、程々に何もない。
ボラカイ島ではハングル文字で書かれた看板を多く見たが、中には日本食レストランもあった。 その名も『おふくろさん』。
どうみても『おっさん』にしか見えない人が日本食を作っていたが、日本を出て以来で口にしたカツカレーやカツ丼は最高に美味しかった。 別にカツが特別好きなわけではないが、カツ系が安かったのだ。
『おふくろさん』には、日本語の文庫本も置いてあり、宮本輝の『ここに地終わり、海始まる』の上下を読破した。
インドネシアのジャカルタでチベットのガイドブックを買った俺は、ここでも宮本輝の小説に感化されポルトガルのロカ岬に思いを馳せるのだった。 思いを馳せるだけはタダだ。
未だにチベットにも行っていないが、ポルトガルにも当然ながら行っていない。
ボラカイ島は快適だったが、滞在すればするほど宿代がかさんで行くのは辛かった。 1週間ほど滞在した後、セブシティに戻ることにした。
来た時と同じように、ボートでパナイ島カティクランに行く。
イロイロシティまで行くバスを探していたら、つい5分前に最終バスが出たと言う。
まだ朝の9時半だぜ・・・
仕方がないので、ジープニーでカリボという町まで2時間掛けて行き、そこからイロイロシティまでのバスに乗る。
イロイロシティには昼の3時に着いたので、その日のうちにパナイ島を出て、ネグロス島のバコロドまで行くことした。
Bullet Express社のスピードボートのチケットを偽学生証を使って110ペソ(約330円)で購入。 約1時間15分の船旅でバコロドに到着、来た時と同じ『ハリリイン』にチェックインする。
ネグロス島バコロドでは警察官のデニスと知り合う。
インターネットカフェが見付からずに困っていた時、白バイで連れて行ってくれたのがデニスだった。
連れて行ってもらっただけではなく、昼食までご馳走になってしまった。 さらに夜には、彼の友達が経営しているレストラン『カマ・カマ』に連れて行ってもらい、ビールを5本もおごってもらった。
『カマ・カマ』は、オカマが沢山いるレストランではない。
“小人”という意味で、働いているウェイター、ウェイトレスは全て小人症の人たちだ。 体にハンディを背負っている彼らに働く場を、という高貴な考えでレストランを経営している訳ではなさそうだったが。

デニスには、砂糖プランテーションで使っていたという蒸気機関車を見にも連れて行ってもらった。
バコロドの砂糖プランテーションは数年前までは世界一の広さだったと、デニスが言っていた。 今はゴルフ場になったりしていると言う。
砂糖プランテーションで、デニスが「俺のピストル撃ってみるか?」と言ってきた。 撃ってみたかったが、何か起こってフィリピンの、というかネグロス島の豚箱に入れられるのは御免だ。
連日、『カマ・カマ』でタダ飯・タダ酒は悪いと思い、バコロドを出ることにした。 デニスがバスターミナルまで白バイで送ってくれる。
朝9時にバコロドを出発したバスは、途中でカーフェリーに乗り込みネグロス島からセブ島に渡り、約7時間後の夕方4時にセブシティに到着する。
セブシティでは、最初はYMCAに泊まっていたが、アルバートが「うちに泊まればいい」と言うのでお邪魔することにした。
セブシティ滞在中に、旅行先で知り合った人たちからメールを受け取る。
バリで知り合ったKちゃんは今バンコクにいて、これから中国の雲南省に行くと言う。
インドネシアを一緒に旅行した一休さんは、インドを旅行し終わってとっくに日本に帰っている。
他の人たちもとっくに旅行を終えて、自分の国に帰っている。
なんとなく自分も焦ってきた。 世界一周をすると言って1年以上経ったが、行った国はタイ、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、そしてフィリピンと5ヶ国だけ。
しかもフィリピンに来たのは、インドネシア旅行中の、ボルネオ島を1周していた時の、“ついで”ではなかったか? 考え出すと、今すぐにでもボルネオ1周の続きをしなければ先に進めない気がして来た。
サマル島やミンドロ島に行ったり、ルソン島の南部を旅行する気がなかった訳ではないが、早くボルネオに戻りたいという気持ちの方が上回っていた。
直ぐに『George&Peter Line』のオフィスに行って、ザンボアンガ行きの船のチケットを買う。
偽学生証で、320ペソ(約960円)が272ペソ(約816円)になった。
リトや、ロジェリオにフィリピンを去ることを告げると、「なんで?フィリピンに住めばいいじゃない!?」と言われた。 冗談でも嬉しい。
セブシティを発つ日、アルバートが港まで見送りに来てくれた。 リトやロジェリオも「見送りに行くよ」と言ってくれたが、断った。
リトはともかく、状況によっては“ロジェリオもいるし、フィリピンに住んじゃおうかな?”なんて気持ちにならないとも限らないではないか。
フェリーに乗って一人になってから、ちょっとだけセブを離れるのが寂しくなった。 だが、そんな感傷的な気分も、隣のベッドに寝ていた高校の先生に打ち砕かれた。 「どうしたら日本に行ける?」としつこい・・・
途中ネグロス島のドゥマグエテに寄港して時間を食うが、セブシティを出てから約24時間後にミンダナオ島ザンボアンガに到着。
見ていて面白かったのが、船がザンボアンガに近づくと女性たちが頭に被り物をし始めた。 どうやら彼女たちはモスリムのようだ。 地元以外では被り物をしないということは、やっぱり恥ずかしいと思っているのだろうか?
ザンボアンガに着いて直ぐに、港でマレーシア・サンダカン行きの船のチケットを購入する。 数日後にフィリピンを出て、マレーシアに上陸した俺は、その後マレーシア、ブルネイ王国、インドネシアとボルネオ1周の続きを再開する。
ただ運がいいだけかも知れないが、フィリピンで嫌な思いをしたことは1度もない。 逆に、親切にされ過ぎの感じがしないでもない。 タダ飯、タダ酒、タダ泊などなど・・・
ただ全般的な話として、個人旅行者の中でフィリピンがイマイチぱっとしない国のような気がする。 本当は大人気の国かも知れないが、俺が知り合った旅行者でフィリピンを旅行したことのある人は意外と少ない。
ダイビングをするとか目的がある人ならいいが、自然以外これと言った見所のない国だから面白くないのだろうか? ただ俺の中のフィリピンを一言で言うと、「国は面白くないが、人が良い」。
でも、これだけでも行く価値はあると思う。 |

|