
徒然日記58
| コリン星か、ナメック星か |
今回は、前回の日記の続きである。
意外と日本でこういう話題はプチ・タブーなのか?あまり会話の中に出てこない。
そこで、敢えてさらにディープに掘り下げてみたいと思う。
一昨日、居酒屋に行って飲んでいたら、俺の隣の隣のテーブルのカップルの会話がふと耳に入ってきた。
「コリン星がどうたらこうたら・・・」という女性の会話が聞こえる。
見ると、サラリーマンとOLだろうか? 体型も含めたビジュアル全般に危険な香りがプンプンする年増の男女であった。 出来上がっているのか?女性の目は完全に据わっている。
このままラブホに直行するのではないか?と思うほど、完全に自分たちの世界に入り込んでいる時点で既に気持ち悪いのに、見た目のくせに会話が無理して若作りしているせいでさらに気持ち悪さ倍増である。
しかも、コリン星って!!?
ゆうこりんと同星人には見えん・・・と、薄っすら殺意すら覚えてしまった。
しかーし! もし彼女が「ナメック星がどうこう」と言っていたら・・・
殺意どころか、好意すら覚えてしまうかも知れん。
「やっぱ、ピッコロ系なんだ・・・」とか、「必殺技は『爆裂魔光砲』なのかしら?」などなど、他人事ながら「ここで俺がカメハメ波を出したら、戦闘になるかな?」と興味津々である。
「ゆうこりんと同類」と言われても生理的に拒否反応しか示せないが、「ピッコロ大魔王と同類」と言われたらそこそこ納得出来る。
では、この敵意と好意の『線』はどこなんだ?って話である。
完全に敵意と好意とか、優越感と劣等感とか、好き嫌いとか、そこまで大袈裟に区別してしまうほどリアルな話ではないかも知れないが、“なんとなーく”の線を作ってしまうのは、結局のところその人の持っているイメージでしょー。
例えば、俺はコリン星出身者ってゆうこりんしか知らねーし。
ナメック星出身者って『ドラゴンボール』の中でしか知らねーし。
この、限られた情報しかないコリン星とナメック星のイメージのみで、その年増OLを評価したわけだから。
このイメージ形成は、(意識していなくても)自分の中に『線』を作ってしまうんじゃないか?と思う。
日本開国と共に『脱亜入欧』をスローガンに掲げてから、なんとなーく、同じアジアに対しては優越感を感じ、欧米に対する憧れが知らず知らずのうちに(認めたくはなくても)劣等感に変わっていた可能性だって否定できないわけだし。
「欧米人と結婚した」というと、金髪美女がトップレスで「ボジョレーヌーボー!」と言っている姿をイメージするかも知れないが、欧米とはいえ金髪で青い目だろうがブザイクな女はブサイクなわけで、一口に欧米人といえど千差万別なわけである。
逆に「中国の農村出身の娘と結婚した」というと、クワを持って、ほっぺたがリンゴ病みたいに赤くなっている芋臭い女が太極拳をしている姿をイメージするかも知れないが、美人である可能性だってあるわけである。
これがもうアフリカ人となったら、槍を持って無意味にジャンプして、声を出しながら口に手をビシビシ当てて「ウォウォウォ!」と言っているイメージしかないわけである。 それか、ただ黒人ってだけで=ヒップホップ好きみたいな安易な考えも、完全にイメージの世界である。
昔、『ちびくろサンボ』という童話があった。
お父さんがジャンボ、お母さんがマンボ、息子がサンボである。
もう名前からして幼稚なアフリカのイメージの上、ストーリーが奇怪である。
「両親から新しい靴・上着・ズボン・カサを買ってもらったサンボは、ジャングルに出かける。 しかし通りかかったトラたちに食べられそうになり、身につけていたものを一つずつ与えて許してもらう。 サンボは裸にされ号泣。
一方のトラたちは、戦利品を奪い合って木の周りをグルグルと回りはじめる。 その間にサンボは与えたものをすべて取り返すことに成功。 トラたちはグルグル回り過ぎてバターになってしまう。
サンボはそのバターを家に持ち帰って、ホットケーキを焼いて食べちゃいました」という話だ。
だからー、アフリカにトラはいねぇーから!!
そりゃ、タイのシーラチャ・タイガー・ズーでトラの檻の中にアフリカ人が入ってるわけだわ。
こういう間違った情報、あるいは断片的な情報で、全体のイメージが形成されてしまうのだ。
TVで、鼻がべチャッと潰れた浅黒いフィリピン人女性が、日本に不法滞在をしながら売春をしている報道ばかり見ていたら、もうイメージの中でフィリピン人女性=水商売のように出来上がってくるのである。
ニューヨークはマンハッタンの超高層ビル群の映像と、『自由と正義の国』というプロパガンダを垂れ流されたら、「アメリカってすげーな」と憧れと尊敬の念を抱いてしまうである。
こういったイメージの積み重ねで、好き嫌い、優越感と劣等感、コリン星とナメック星の『線』が出来上がっていくのだ。
情報を提供する側に意図がない場合は致し方ないとして、あるイメージ形成を狙った意図があった場合はどーなんでしょう?
最近、俺が「なかなか面白いなぁ」と思ったものに・・・
「リメンバー・パールハーバー」(真珠湾を忘れるな)
「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」(広島・長崎の惨劇を繰り返すな)
この二つがある。
「リメンバー・パールハーバー」
アメリカ人がこの標語を言いながら抱けるイメージで考えると、日本に対して敵意を抱いたり、愛国心を奮い立たせることが出来る。
なぜなら「忘れよう」とか「忘れるな」とかは、日本側には関係ないというか・・・どうしようもないことであって、完全にアメリカ側の自発的な行動をベースにした視線なのである。
一方、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」
これって変じゃない? 「繰り返すな」と言ったって、日本は“落とされた”側なわけだから、「ノーモア」か「ワンモア」かは落とす側視点の話であって、日本にはどうしようもない話なのだ。
チョー受け身な標語なんですけど。
でも、「リメンバー・ヒロシマ・ナガサキ」というのと違って、アメリカに対して敵意を抱いたり、愛国心を奮い立たせるわけじゃないから、“ある人たち”にとっては都合の良い標語なわけだ。
「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」という標語を誰が考えたのか?は知らん。
でも、上手に出来ているから、意図を持って作られたかのようにも深読みできちゃうよねー。
広告宣伝の手法としては古典的だけど。
まぁ、こんなちょっとしたことでも、当たり前のように吸収していくと、ある特定の国・人種に対して敵意や優越感を形成していく良い材料になるだろうし、逆に劣等感を形成していく材料にもなりうると思うんですけど。 |
 
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