
徒然日記41
| 18才の東南アジア(後編) |
BBQパーティーで9時間以上酒を飲み続けて、帰りの電車で日本人の女を連れた外国人に向かって、「ガイジン、ガイジン!」と言ってたら超ガンを飛ばされた上に、気が付いてみたらレポート提出期限が翌日に迫っていたから徹夜で東洋史のレポートを仕上げたせいで、今の俺は身も心もお財布の中もボロボロである。
俺の予想では、レポートの評価もボロボロなはず。
しかも、ワープロ打ちのレポートが許可されている平成の時代に、「プリンターを持っていない」ばかりに、4000文字のレポートを手書きで仕上げた『昭和な男』丸出しな俺である。
金ないけど、プリンター買おうかな・・・
手書き、すっげーしんどい。 手がプルプルしてくるし。
そんな徹夜明けのせいでテンションがハイだけど、色んな意味でボロボロな俺がお送りする『18才の東南アジア』第2弾。
ベトナム、ミャンマー、ネパール、フィリピンの話である。
カンボジアの次はベトナムに行った。
とくにこれといってベトナムの印象はない。
唯一、印象に残ったことと言えば・・・『クチ・トンネル』ツアーに参加した時のことかな。
『クチ・トンネル』とは、ベトナム戦争の時に、ベトナム兵が米軍に見付からないで移動できるように掘った地下トンネルのことだ。
写真はトンネルの秘密の入り口である。
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そこを案内してくれたベトナム人のお兄ちゃんがムカついた。
とにかく、「世界でアメリカに戦争で勝った国は唯一ベトナムだけ」とプライド高々で、調子乗り過ぎ!
「おっ、お前はどこから来た?」みたいな感じでわざとらしく俺の出身地を聞き、「日本はアメリカに負けたよなー。 だが、ベトナムは勝った! ベトナムは中国にも勝った!(中越紛争のこと)」と自慢してくるのだ。
お前なんか、その格好で一生を過ごせばいいのに。(写真参照)
一度タイに戻った後、ミャンマーには空路で入った。
今もあるか知らないが、当時は外国人がミャンマーに入国した時には300USドルを強制的に両替され、しかもミャンマーのお金『チャット』ではなく、外貨兌換券FECsという再両替出来ない外人専用券しかもらえなかった。
こっそり両替せずに空港を逃げ出そうとしたが、役人2人に捕まり、強制的に両替所に連れて行かれてしまった。
ワイロを要求してくる腐れ役人ども相手にゴネまくって、80USドルしか両替していない。
どんな仕組みになっていたのか?あまり覚えていないが、俺のメモには・・・
『正規: 1USドル=1FECs=5.7チャット』
『闇: 1USドル=1FECs=125チャット』
と書かれている。
空港を出てビックリした。 凄いものがドッカーンと立っていた。
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ありえなくないですか、このキャラ?!
国を挙げて作り上げたのが、このキャラって・・・
しかも巨大だし。
そりゃぁ、スーチーさんも民主化を叫びたくなるわ。
北部のパゴダ(仏塔)群を、そのクソ暑さに意識を朦朧とさせながら観光したりして、ミャンマー観光を終えて飛行機で帰る時、俺の持ち金は20チャット(約20円)しかなく、空港までタクシーすら使えずヒッチハイクをした。
ヒッチハイクをしていたら、タクシーが止まってくれ、タダで空港まで連れて行ってくれた。
それって、タクシーの意味がないんじゃ・・・
ミャンマーのお次は、ネパールである。
これには目的があった。 エベレストを自分の目で直に見たかったのだ。
日本では鳥海山に車で連れて行ってもらった事があるほどの山好きな俺が、中国で泰山と黄山と標高1,000mちょっとの山々を制覇して自信を付け、次に狙ったのが世界最高峰エベレストである。
己をわきまえている男ならではの決断である。
山を知り尽くしている俺は、エベレストのベースキャンプを目指すべく山登りを始めたのだが、Tシャツしか持っていないことを山小屋の親父に指摘&「山をナメとんのか!?」と怒られ、半ば強制的に登山道具一式(ダウンジャケット、寝袋など)を借りさせられた。
その日の夜には早速命拾いをしたことに、親父に感謝の気持ちで一杯であった。 Tシャツでエベレストに登るなど、全裸で富士山に登るようなものであったことを学習したのだった。
良い子はマネしないでね。
マジで寒いよ。
エベレストの話でも書こうかと思ったが、面倒くさくなってきたので止める。
カトマンズには沢山の日本人旅行者がいた。
実は、この年の前年に『進め!電波少年』という番組で、猿岩石がユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する企画をやっていた。
その影響か?感化されて海外に出てきた日本人も多かった。
カトマンズで出会った(仮名)こぶ平も、香港をスタートしてユーラシア大陸を横断してロンドンを目指している旅行者であった。
『ユーラシア横断』という響きは素敵であったし、当時の俺からしたら素直に凄いことでもあった。 ただ、こぶ平の旅はそんな素敵なことを実行している割には、18才の俺から見ても甚だ疑問な旅であった。
一人で日本を出て来ているのだが、一人では怖いから旅行出来ないという致命的な痛さを持っていた。 でも、その割に旅の自慢話だけはするという不思議な一面も持ち合わせているところが憎い。
道中、誰か同じ方向に旅する人がいたら、その人に金魚の糞のようにくっ付いて移動しているのである。
カトマンズでも、これから西に向かう人をひたすら待っているのであった。 でも、皆こぶ平とは旅行したくないから、こっそりと宿を出て行ってしまうので、取り残された彼はまた次の西に向かう旅行者を待っているのだった。
彼はその後、無事にロンドンに到着したのだろうか?
マジでどーでもいい。
彼との想い出は、彼がアイマスクを付けて爆睡中のベッドを皆で囲んで記念撮影した写真1枚だけである。
ネパールからタイに戻り、いよいよ日本に帰ることになった。
が、その前に、日本発マニラ経由バンコク行きの往復チケットを持っていた俺は、帰りの便でマニラにストップオーバーをすることにした。
最後の国フィリピンである。
フィリピンに旅行した時のことは、『フィリピン旅行記』に書いたが、その中に書いていないこととしては・・・マニラで韓国人(自称)ビジネスマンのおっさんにストリップ・バーに連れて行ってもらったことかな。
「今日は俺の誕生日だから!」と連れて行ってもらい、「俺の誕生日!」とおごってもらい、「誕生日だからな!」と女の子2人を両脇に抱えて消えていった。
俺を置き去りにして・・・
今から考えると、随分と寂しいおっさんの誕生日である。
27才の誕生日にモザンビークで速度超過で警察に捕まったとか、29才の誕生日にタクラマカン砂漠のド田舎で1人でボーっとしていたとか、俺の誕生日と比較しても、おっさんの方が寂しい。
自分の誕生日を祝うのに売春って!?
旅できれいにお金を使い果たし、成田空港に着いた時には無一文だった俺は、成田空港の売店に行って段ボールをもらい、行き先をマジックで書いてもらって成田空港駐車場の出口に立った。
世の中、なんとかなるもんである。
最初の1台目で乗せてもらえ、「高速の入り口なら次が掴まりやすい」と気を利かせてくれた運ちゃんのおかげもあり、何回か乗り継ぎながらも無事に帰宅した。
18才で3度目の海外旅行をした俺は、次なる目標に世界一周をぶちまけた。 この東南アジアの旅で、俺の方向性が決定付けられてしまったと言ってもいいかも。
しかし、未だに『世界一周すら出来ていない』という残念なことになっている。 |
 
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