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徒然日記38


2人の17才
 初めて海外に行った時の衝撃は、強烈に自分自身の中で焼きつく。 いわば今まで体験したこともないようなハイの状態である。
 そして、それが忘れられなくなる。
 あの時の、あの強烈なカルチャーショックをまた感じたいと、また旅に出てしまう。
 でも、一番最初に体験したレベルの衝撃は受けれない。
 もっと僻地に行ったら、もっと知られていない所に行ったら、と思って実際に行ってみるが、やはり最初の衝撃には勝てない。

 旅は多分・・・ドラッグと同じである。
 大抵のドラッグに肉体的依存症はない。 ヘロインなどのハード・ドラッグを除けば、そのほとんどは精神的依存症である。
 最初の体験で味わったハイな気分を再び味わいたくて、2回目があるのだ。 でも、最初の体験は味わえない。 3回目こそ・・・と精神的に依存していくが、やはり最初の体験は戻ってこない。
 旅も一緒である。 2回目以降の旅は、衝撃度が1回目とは比較にならない。 旅自体の純度が低くなっているのではない。 自分自身の感性が『慣れ』によって鈍くなっているのだ。

 俺の2回目の海外旅行は、親友の同級生を誘っての2度目の中国だった。
 1回目で受けた中国の衝撃を、彼とも共有したかったのだ。

 彼とは、俺が高校を卒業して早い段階で海外に出てしまったこともあり、もう10年近く音信不通である。
 でも、風の噂で彼はパプア・ニューギニアに住んでいると聞いている。

 ・・・さすが、渋いところを突いている。

 前回、俺は北京に行っているので、今回は上海から中国の海岸線を南下して、香港まで行こうということになった。
 彼の家に泊まりこんで作戦会議を練った後、大阪から船で上海に向かうことにした。 香港からどうやって帰るか?は、香港で決めればいい話なので、やはり片道切符を購入した。

 今回も、夏休みでもない11月に行ったので、船はガラガラで数人の大学生がいた程度であった。
 日本を出てから3日目に上海が見え始めた時、前回ほどのドキドキ感はなかった。 2回目であるということ、2人であるということ、16才から17才になっていることが、こんなにも違うとは思いもしなかった。


 上海では、『蛇餐館』と書かれたヘビ専門レストランに行った。
 入ると、沢山の水槽が並んでおり、そこに無数のヘビがウジャウジャ。 そこで好きなヘビを選び、あとはそのヘビがフルコースになって出てくる素敵なレストランである。
 俺らは『大王蛇』というヘビを頼んだ。

 まずはヘビ血の老酒割り。
 滋養強壮、精力増大になるヘビ。 目がギンギラギンになって、やけに興奮して、その晩はなかなか寝付けなくなった。
 精力増大とか必要ない年頃に、異国の地で発散させる術もないまま精力増大になるのは、色んな意味で不健康であった。 やたらハイ・テンションで悶々しているのに、ドミトリー内にはムサ苦しい野郎ばかり。 しかも、皆で行ったので皆が悶々としており「うっきー!」と叫ぶしかない。
 ヘビ・パワー恐るべし。

 あとは、ヘビ皮の唐揚げとか、ヘビ肉の姿焼きとか、選んだ大王蛇が色々な料理になって出てくる。
 味は、歯ごたえ抜群の鶏肉である。
 ウシガエルもサイド・ディッシュで食ったが、こちらも鶏肉みたい。 身はプリプリしているのだが、骨が邪魔で食べづらかった。

 旅の後半で、福建省の辺りで『猫餐館』を見付けたが、さすがに入っていない。


 上海から南京、南京から安徽省の黄山を回り、さらに恐ろしく混んでいて席にすら座れない状態の列車を、『硬座』で合計25時間以上乗り継いで福建省の武夷山、アモイを回った。
 アモイからはゴキブリが走り回る船に乗って、香港に入っている。

 下の写真は、水墨画の世界が広がる黄山である。
 俺は、ここの山頂で使い捨てカメラを失くしたのだが、そのカメラには船の中からこの時まで、皆で撮った写真ばかりが入っていた。 『蛇餐館』の写真もこのカメラで撮っていた・・・
 カメラはどーでもいいが、中のデータだけは悔やんでも悔やみきれない。
 ちなみに、この何年か後にとある異国の地で、とある女と喧嘩して、怒り狂った女に俺のお気に入りだったリコーのR1というカメラをトイレに流されたことがある。
 使い捨てカメラよりも遥かに高額なカメラであったが、この時もカメラ本体よりデータを失ったことの方がダメージ大であった。
 あの女に天誅が下らんことを願って已まない。

 10年以上ぶりに思い出して、今イラッとしている。

 ところで、黄山を登っている途中の道にこんなものが落ちていた。
 誰だよ、頭蓋骨落としていったの!?
 体はどこ行ったんだろ?

 さてさて、中国では地方に行けば行くほど劣悪なトイレ環境であった。
 いわゆる『ニーハオ・トイレ』というやつである。 仕切り壁やドアといった類いは一切存在せず、そこにあるのは溝だけで、用を足しながら隣の人と「ニーハオ・マー?」と会話が出来る素敵なトイレである。
 流れるように、溝は全体的にゆるやか傾斜になっているので、川下の人は大変である。
 こんなトイレ・・・17年もの人生経験において見たことすらないではないか!?

 17才の旅でも、今までにない経験を多くした。

 下の写真は、福建省アモイのレストランで並んでいた『カブトガニ』である。
 『カブトガニ』・・・学校の授業で習ったではないか!!
 日本じゃ天然記念物だぜ!
 身も少ねぇーし、大して美味しくもなかった。

 アモイには、他にも楽しいものが沢山あった。
 こちらは、『ケンロッキー・フライドチキン』である。
 『ロ』を『タ』に変えれば、あの某有名ファーストフード店と同じ名前になる。 ギリギリ・・・というか、完全にアウトー!!
 しかも、窓には某有名ディズほにゃらら・ランドのキャラクターに酷似した動物たちの絵が・・・


 アモイを一通り堪能した後は、『集美号』という船で香港へ。
 アモイから香港まで一泊二日の旅である。 船はボロボロの上、ベッドの中に変な虫がいっぱいいて、ゴキブリがベッドに上がってくるという最悪の船であった。

 香港で最初は重慶マンションという安宿に泊まっていたのだが、知り合った香港人が「重慶マンションは危ない!」というので、彼の家に泊めさせてもらった。
 ここが彼の住んでいたアパートだが、こんな高層アパート群は見たことがなかった。

 ちなみに、当時の香港はまだ中国返還前のイギリス領であり、香港人たちの話題はもっぱら「財産を香港から海外に移しておいた方が安全・・・」というものであった。
 俺は中国に返還された後の香港には行っていないので、その後の香港がどう変わったのか?は知らない。

 香港から船でマカオに行ったりしたが、当時のマカオもまだポルトガル領であった。

 香港から成田へは飛行機で帰った。 アッという間で、今まで陸・海路で南下してきた俺たちは何だったんだ?と疑問にすら思えるほど呆気ないものであった。
 そして、これが俺が人生で初めて乗った飛行機だった。


 今回、南アフリカからの帰国旅行で、12年ぶり3度目となる中国を旅した。
 1回目は北京から山東省、2回目は上海から福建省まで、3回目は新彊ウイグル自治区から上海までと、2度同じところに行ったのは上海しかない。
 だから、単純に比較するわけにはいかないが、それでも随分と変わったと思う。
 俺も12年前よりは変わっているだろうが、中国の方が変わった。

 正直、物足りなさすら感じた。
 信じられないかも知れないが、昔はインドと中国は旅のハードさにおいて旅人からの扱いは互角であった。
 今では中国の旅なんて楽チンである。
 タクラマカン砂漠の南のようなマイナーなルートが、あんなにも楽だとは想像すらしていなかった。
 もちろん、新彊ウイグル自治区からチベットに抜けるルートなどは未だにハードだとは思うが、中国の“一般的な”レベルとしては昔と比較にならない。

 なるべく客観的に考えても、今の時点で俺が16才であったと仮定して、初めての海外旅行で中国に行ったとしても衝撃は受けないと思う。
 あの時、13年前に、12年前に、中国に行っておいて良かった。




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