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徒然日記36


16才の無鉄砲(中国編)
 たまーに人に聞かれるのが、俺が16才の時に一人で行った初海外旅行のことだ。
 あの時、海外にさえ行っていなければ、日記にジンバブエについて書くような可哀想なことにはならず、今頃は「カフェでモッフル食べ歩き♪」みたいな女性読者のハートを鷲掴みの日記を書いていたはずだ。
 人生とは恐ろしいものである。
 もしかしたら、日記の中で触れたりしたこともあるかも知れないが、『海外日記』は量が多過ぎて確認する気も起きないので、ここに俺の初海外旅行のことを書いておく。

 「そもそも何で海外に行こうと思ったのか?」とよく聞かれるのだが、自分でもよく分からん。
 本当に、「偶々」としか言いようがない。

 今も超普通だが、当時も普通の高校生だった俺は海外なんて興味がなかったと記憶している。
 そもそもが、「日本が嫌い」とか「外国に憧れがある」とかいう考えは毛頭ない。 今も外国に憧れなんぞない。

 だが、当時の俺の中で「天安門事件」とか「恐ろしく集団でチャリンコに乗っている」とか「共産党」とか「人民服」など、TVで植えつけられたネガティブなキーワードが合体して『怪しい国・中国』のイメージが出来上がっていたのは事実だ。 これは憧れでも何でもない。
 そもそも、『中国四千年の歴史』とか俺には関係のない話で、どーでもいいし。
 ハワイ?
 そんな爽やかなイメージの場所なんて、興味がない。
 俺の中で限りなく胡散臭いイメージの国だったから意味があったのだ。

 そして・・・学校で「中国に行く」と言ってしまったのだ。
 冗談で言ったのに、周りは本気モードで「中国に行くらしいよ」という話にどんどん進んでいき、「えー、すっご〜い!」みたいな感じになってしまい、今更「うっそ〜!」とは言い出せない雰囲気になってしまった。
 だから、仕方なく行った。

 それだけのことだ。

 飛行機に乗ったことがなかったので、他の交通手段を調べたら船があるということが分かったので、神戸から天津まで出ている船の片道切符を買った。
 高校の学生証で学割が使えたことも、船を選んだ理由だ。
 確か2万5千円くらいだったはず。 高校生はお金がないからな。

 なぜ片道切符にしたのか?は、覚えていない。 多分、中国に行ってから考えようと思っていたのかも。
 親にどのタイミングで、どんな風に言ったのかも覚えていないが、全く反対はされなかった。 全部、自分がバイトで貯めた金で行くつもりだったので、金は一銭も貰っていない(多分)。 パスポートの申請も全部自分で調べてやった。
 お爺ちゃんからは、戦時中の支那の話を延々と聞かされたのを覚えている。
 出発の日、ブルボンの丸いクッキー缶を渡されたのだが、でかい上に丸い形状が非常に邪魔だったのだけは覚えている。
 遠足じゃねーし。

 神戸から船に乗り込んだ。
 夏休みでも何でもない季節に行ったので、船はガラガラだった記憶がある。 確か、京都の大学生がチラホラと乗っていたので、皆でブルボンのクッキーを食った。
 中国人も含めた他の乗客たちに、俺が16才であることに驚かれたが、俺からしたら「なぜ驚くのか?」が分からなかった。
 何の心配もなかったか?と言われれば多少は心配だったが、それと16才であることは別問題で、誰だって初めての土地に行く時は心配だろうし、別に驚くことでもなかろうと思っていた。

 ちなみに、北京で安宿に泊まった時は、「高2がいる!」ということで皆が俺を見に来たのを覚えている。
 動物園のパンダである。

 船が天津に近づいて中国が眼前に迫り始めると、さすがにドキドキしてきた。
 今まで見たこともないような巨大な煙突(ビルみたいだった)から煙が立ち上り、そのスモッグで天津の町はドンヨリと霞んでおり、俺の“ダークなイメージ”そのまんまの中国だ。
 そのオドロオドロシイ雰囲気に、怖ぇー!と思ったが、時すでに遅し。
 船は天津港に着岸し、タラップが下りて下船が始まった。

 中国に着いたらどうするか?とか考えていなかったので、中国が2回目だという日本人旅行者(確か大学生)の後に金魚の糞のようにくっ付いていくことにした。
 彼の格好が汚かったことだけは覚えている。

 イミグレで中国への入国手続きを済ませ、一歩外に出るとそこには黒山のタクシー運ちゃんが待ち構えており、俺の耳元で「ちーんちゃーんちょーん!」と喧嘩腰に中国語でまくし立てて、俺の上着の袖を引っ張ってくる。

 これには、16年間生きてきた中で一番度肝を抜かれた。
 訳分からん!! 完全にノックアウトである。
 正直に「帰りたい」と思った。

 まず、人数が多過ぎだし、そんな大声で喋らんでも聞こえてるし、袖を引っ張ったら服が伸びるだろ!

 ひたすら大学生の後ろにくっ付いて、天津から北京に向かった。 どこをどうやって移動したのか?全く記憶にない。
 ホテル探しも全部、彼がやってくれた。

 バックパッカーに有名だという『京華飯店』というところに泊まったのだが、前述のように皆に珍しがられた。

 当時は日記を書いておらず、メモしか残っていないので詳細は不明だが北京で17才の誕生日を迎えている。
 そして、なぜかその3日後の欄に『記者からインタビューされた』とだけ書いてある。
 誰からインタビューされたんだろう?

 事実上、北京滞在が初めての海外体験になったのだが、見るもの聞くもの全てに衝撃を受けた。

 ファッションショーを見に行ったのだが、スタイル抜群のモデルがお尻をプリプリさせながら歩いている。 「そこら辺でチャリンコに乗ってるお姉さんと違って、美しい・・・」と見惚れていると、モデルが格好良くポーズを決めた。
 そして、俺は見てしまった。 脇毛がモッサ〜と出ているのを。
 えー、ありえん!! しかも全員だし・・・
 伝説のAV女優・黒木薫も、日本では伝説になれたが、中国では普通である。
 中国・・・マニアの聖地なのか?

 天安門広場とか、北京駅の辺りに行くと、無駄に人民がウジャウジャいる。 何をしているのか知らんが、地べたにベターっと座っているのだ。
 その中でスカートを履いた女性たちまでもが、地べたで両足全開で座っているのだ。 もう、パンツ丸出しっていうか、パンツをアピールしてるとしか思えない。
 あれを『パンティー』と呼ぶ気すらおきない、プロレスラーが履いていそうな色気皆無の人民パンツをこれ見よがしに公衆の面前でアピールしているのだ。
 異性には敏感であったはずの16才でさえもが「これは酷い!」と思うほどの汚さである。
 軽く猥褻を通り越した、犯罪である。

 ようやく資本主義の波が入り始めた中国であったが、当時はデパートも『友誼商店』と呼ばれる国営デパートが主流であった。
 当時は『痩せる石鹸』というものが日本で流行っており、お土産にしようと友誼商店に買いに行った。
 店内をウロウロして探していると、『痩せる石鹸』らしきものがあった。 手にとって確認したかったが、友諠商店では商品は全てショーケースの中に入っており、出してもらわなければならない。
 そこで、ショーケースの向こう側で雑談に興じるおばちゃんたちに声を掛けた。
 「すみませーん!」と。

 ・・・・・

 あれ? 聞こえてないのかな?
 もう一度、声を大きくして「すみませーん!!」と言ってみる。

 ・・・・・も、もしかしてシカトですか?
 店員に明らかにシカトされたのは、あれが人生初である。
 だが、俺は客である。 日本では「お客様は神様です」と習ったではないか?
 だが・・・もう一度、店員を呼んだら今度はキレられた。

 何なの、この国!?
 逆ギレもいいところである。 ただ客として呼んだだけだが、「あれ、俺って普通だよな?」と自問してしまうほど意味不明なキレ方である。
 「あのー、これが見たいんですけど・・・」と、痩せる石鹸を指差すと、「あ"〜っ?」とガンを飛ばしながらババアは石鹸を“文字通り”投げてきた。
 唖然である。 この国は何なんだ?!
 なぜ石鹸を買おうとしただけなのに、店員にキレられなきゃいけないんだ?
 後日、マクドナルドの北京一号店に行ったら、店員がニヤニヤしていたのでビビった。 俺に媚を売ってる〜!

 人民のツバ吐きにも驚いた。
 今までの人生で、あんなにツバを吐く人間を見たことがない。 幾らノドがイガイガする人でも、あそこまでツバは吐かんだろー?
 中国人というのは、器官に欠陥があるのだろうか? 1人ならまだしも、皆がそうなのである。

 カーっ、ペッペッ!!

 無駄にツバ吐き過ぎだから!
 しかも、どこにでも吐く。 ホテルのロビーだろうが、地下鉄の車内だろうが、お構いなしだ。
 中国人というのは、日本のヤンキーよりも痰が絡みやすい体質のようだ。
 地下鉄に乗って座っている時に、前の吊革に立っているおっさんが、いきなり目の前でカーっ、ペッ!とやった時には驚いた。 俺の股の間にツバを吐いたのだ。
 ありえんだろー!! 日本ではアウトだぜ。

 だが、徐々に中国人に感化されていった俺は、人民と同じように『ツバ吐き』の技を覚えた。 Lv2にレベルアップである。
 調子に乗って、毛主席記念堂(毛沢東のミイラを飾ってるとこ)で、カーっ、ペッペッ!!とやったら捕まった・・・
 「おいおい、人民はどこでもツバ吐いてますよ。 テメエの目は節穴か? 俺だけ何でダメなんだ?」と、ボディーランゲージのみで猛抗議。
 だが、抗議も虚しく罰金を取られた・・・

 北京駅の前で、人民同士が殴り合いの喧嘩をしているのを目撃した。
 観察していると、すぐに警察が飛んできた。 腕には『武装警官』と漢字で書かれている。
 武装警官・・・? 凄い名前である。
 その武装警官は、警棒を取り出して喧嘩をしていた人民をボッコボコに殴り始めた。 しかもその警棒、日本の警察が持っている警棒とちょっと違う。 少し太めで、警棒の先端にはトゲトゲが付いていて痛そうである。 しかも一番てっぺんにはポチッと金属片が2つ付いていた。
 あれは何だろう?と思って見ていると、その金属片の間を青白い閃光が走った。 スタンガンじゃん・・・
 警官は、周りに集まっていた野次馬にこれ見よがしにスタンガンをバチバチ言わせて威嚇し始めた。 「あっち行け!」ってことだろう。
 飛ぶように逃げたのは言うまでもない。


 中国を胡散臭い国だとは思っていたが、本物は予想通り、いや予想以上の胡散臭さであった。
 16才の俺に衝撃を与えるには充分過ぎるほどの怪しさを中国は持っていた。
 俺が教わってきたこと、当たり前だと思っていたこと、今までの固定概念がブッ飛んだのである。
 今まで俺は『日本』という枠の中で生きてきたが、俺の知らない未知の世界には俺の持っていた固定概念では説明が出来ないことが多過ぎた。
 「所構わずツバを吐いてもいいが、毛主席記念堂ではやめておけ」なんて、学校では教えてくれなかったし、TVですら教えてくれなかった。
 「人前で大股広げてパンティーを見せびらかす」女なんて、少なくとも俺の同級生にはいなかった。 どちらかと言えば、隠していたと思う。
 中国でこんなにやばいんだから、他の場所に行ったらもっとやばいじゃねーのか? この時、ようやく俺は『外国』というものに興味を持ったのだと思う。


 北京に一週間ほど滞在した後、どこに行こうか?迷った挙句、結局列車で山東省の泰安という町に向かうことにした。 ここに、『泰山』という有名な山があるらしく、「ここの山頂から眺める雲海は素晴らしい」って言われたから。
 いよいよここからは一人である。

 北京から乗り込んでいた列車は、戦時中の疎開列車並みに恐ろしい混み方をしており、荷物棚にまで人が溢れていて再び度肝を抜かれたが、オロオロしている俺を見かねて親切なおっさんが俺のために席を空けてくれ、周りの人からは食べ物を貰った。
 ちなみに、そのおっさんは俺の代わりに10数時間ずっと立っていた。

 他の場所でも、中国人から「学校はどうした?」と余計な心配をされ、タダ飯だらけであった。

 泰安から煙台という町に移動したとメモに書いてあるが、どう移動したのか?までは覚えていない。
 そして、煙台から威海という町に移動した時のことは覚えている。
 夜行バスに乗ったのだが、三重追い越しをしたり、とにかく滅茶苦茶な運転の挙句、途中でバスは故障して、他の乗客共々訳も分からん場所で放り出されたのだ。
 仕方がないから、深夜のヒッチハイクである。

 俺は異国で一体何をしているんだ?
 本来なら、俺は日本で平和に、いしだ壱成主演のドラマ『未成年』をお菓子を食べながら観ていたはずなのに。

 と、ヒッチハイクをしながら自問したのを覚えている。
 そもそも、ヒッチハイクなんぞ日本ですらやったことがないではないか。

 威海などという聞いた事もないような町に向かったのは、そこから韓国へ船が出ているからだった。

 威海では、宿探しに苦労したのを覚えている。
 中国では外国人が泊まっても良い宿と、泊まれない宿がある。 名前に『旅社』とか『招待所』と付いているとまず泊まれない。 もし、外国人を泊めるているのが公安に見付かると宿側が大変なことになるらしい。

 だが、外国人が泊まっても良い『賓館』や『飯店』などは値段が高い。 俺は威海の『旅社』や『招待所』を片っ端から回って泊めてくれるように頼んだ。
 何軒目かでようやく、最初は嫌がっていた宿を説得するのに成功した。 20代前半の姜さんという宿の従業員のお姉さんが、公安に見付からないように自分の部屋に泊めてくれたのである。

 俺のメモ帳には、『男18 女16 父母許可必要』とか、『我 許可父母 必要』などという走り書きがある。
 どうやら、姜さんと結婚について筆談で会話をしていたようだが、何でそんな会話になっていたのか?は不明である。
 結婚を迫られていたのだろうか?

 だが、俺のメモ帳には『明天 我去韓国』と書いてあるから、無事に韓国に行けたようである。

(韓国編)に続く




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