
徒然日記26
| 脈絡のない音楽の話 |
今夜は、武道館にチャック・コリア&上原ひろみのライブを観に行きます。
ライブに行くのは・・・5年近く前にムアントンタニーのImpact(だっけ?)でやったLinkin Parkのライブに行った以来かな??
そんなわけで、音楽の話でもしようかなと思います。
しかも、思い出系の話になるので、世代的に噛み合わないとつまらないこと必至でしょー。
俺と同じ年代なら、少しは楽しいかも・・・
注)一部、マニアックな部分があることをご了承下さい。
俺が一番最初に買ったCDは、小学生の頃に買った北島三郎の『山』だった。 カップリングは『川』。
サブちゃんが大好きな演歌小僧だったわけではない。 学校に持って行ったらウケるかな?と一発ギャグで買ったのだが、意外と注目度は低く、心外にも「変な子」を見るような視線を浴びることとなった。
その頃から俺のセンスが世間から浮いていたことを示す良い例である。
こうして「一番最初に自分でお金を出して買ったCDは北島三郎」という、一生消えない事実だけが心の傷と共に残ったのである。
俺が小学生だった頃から、俗に80年代バンドブームと呼ばれるものが全盛期を迎えた。
だが、今更ブルーハーツやユニコーンの話をしても面白くない。
俺がいた秋田の片田舎の中学校では、なぜかKATZE(カッツェ)というバンドが流行っていた。 完全に北中限定ブーム(正確に言えば学年限定)である。
一歩北中の外に飛び出してみれば、あまりのKATZEの知名度の低さに愕然としてしまった。
その頃から秋田が日本の蚊帳の外であったことを示す良い例である。 日本からの独立を求めて、『ナマハゲ解放戦線』が大晦日限定ながら、包丁を持って武力闘争を繰り広げているのはそのためである。 武力闘争の矛先が一般家庭の子供限定である理由は不明。
今まで俺が出会った人たちと音楽の話になって、
「俺、KATZEの曲持ってるよ」
「えーっ!マジでっ?!」
と盛り上がったのは、エチオピアで出会ったチャリダーのミッチー只一人である。
エチオピアで・・・という所がミソである。
2人で名曲『STAY FREE』を聴きながらエチオピアの大地に涙を落としたのであった。
KATZE解散という(極一部で)衝撃的な事件後、ボーカルの中村敦はHEAVENというユニットを組んだ。
当時中学生だった俺は、期待して彼らのファースト・アルバムを買ったが、聴いて「なんじゃこりゃー!!」とCDを投げ出してしまった。
KATZEの音楽性がどこかに吹っ飛んでしまったように、HEAVENのCDも未だに行方不明である。
そういえば、RABBITというバンドもいた。
『Thank you my girl』という曲が世間一般で唯一ヒットした以外は、存在そのものがマイナーであったと記憶しているが、「そんなことはない!」と怒るファンの方がいれば、苦情はナマハゲまでお願いします。
あとは・・・歌舞伎ロックスというバンドもいた。
KISSをパクッたようないでたちをしながら、「お江戸〜!」と歌っていたバンドである。 彼らも『お江戸』という曲で彗星のように現れ、そして彗星のように消えていった。
イロモノと騒がれただけであった。
さらに思い起こしてみれば、当時の“3大ブラザーズ”と言えば、
1.スーパーマリオブラザーズ
2.真心ブラザーズ
そして・・・
3.大事MANブラザーズ
であった(多分)。 人によっては、真心ブラザーズをLLブラザーズとか、バブルガムブラザーズに替えたいかも知れないが、スーパーマリオブラザーズだけは外したらいかん!
同じ“ブラザーズ”繋がりでも、南蛮のテクノ・ユニット『ケミカル・ブラザーズ』は大事MANとは音楽性に繋がりはない。
大事MANブラザーズの唯一のヒット曲は『それが大事』である。 「愛すること、逃げ出さないこと、信じぬくこと〜」という歌詞は今でも覚えている。
俺の記憶が正しければ、『それが大事』がヒットした時期と、KANの『愛は勝つ』がヒットした時期が微妙にダブっているから、偶にどっちがどっちの曲だか分からなく時がある。
そして、卓球の福原愛ちゃんが「好きな曲は『愛は勝つ』です! なぜなら、最後に愛は勝つからです!」とTVで言っていたのを、なぜか覚えている。 そして、「けっ、KANはテメエのためにこの曲を書いたわけじゃねー!」と思ったのも覚えている。
それが・・・あんなに大きくなって〜
やはり彗星のように現れて消えた人の中に、GAOがいる。
『サヨナラ』という曲で世に知れ渡った時、その声に「男なのか? 女なのか?」と話題になったことを覚えているが、今にして思えば死ぬほどどーもいい話題である。
俺は数年前に彼女の『Green Airy Open』というアルバムを買った。 通常は廃盤であるというだけで希少価値がつくのに、廃盤で、しかも新品という超レアさにも関わらず、たったの200円で売られていたのを見て、悲しくなったのだ。
ちなみにフレッツ光の勧誘パンフレットがしつこいほどポストに入っているGyaOと、GAOは似ているが無関係である。
「フレッツ光に申し込みたいのですが・・・」などという電話をGAOにしないように。
または、「昔からファンなんです・・・」などという電話をGyaOにしないように。
どちらの場合もイタズラ電話扱いされちゃうぞ!
あの頃、陣内大蔵という人もいた。
『心の扉』というシングルCDを持っていたことがある。
数枚のヒット・シングルを出したらしいが、やはり彗星のように音楽シーンから消えていった。
T-BOLANも、残念なバンドである。
唯一のヒット曲『じれったい愛』の、「じれったいお前の愛が、うざったいほど痛いよ〜」という歌詞には、思わず「なんて上から目線!!」と驚愕するしかない。
愛してもらっている分際で、「じれったい」だの「うざったい」だの、テメエは何者だっ!?と憤慨したような、してないような・・・
日本のヒップホップ・シーンで忘れてはならないのが、EAST END×YURIだろう。
ロック全盛期の当時にあって、ヒップホップやレゲエなど南蛮伝来のバテレン扱いで、隠れキリシタン的な存在だったのに、「だよね〜 だよね〜」とついサビを口ずさんでしまいそうな『DA.YO.NE』のヒットが、その後の三木道三を生んだと言っても過言ではないだろう(巨ウソ)。
三木道三、元気かな?
「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」を意識したような名前だが、『Lifetime Respect』で「一生一緒にいてくれや〜」と歌っていたのに、お願いしていた割りには自分の方からいなくなってしまった。
そして、日本のロカビリーで忘れてはならないのがMAGICだ!
リーゼント頭の4人組だが・・・曲に関しては何の記憶もない。
続いては・・・The虎舞竜や、大江千里はどうだ!
The虎舞竜は『ロード』という曲が大ヒットしたが、それ以外の曲がヒットした記憶がない。 調子に乗ったのか?定かではないが、『ロード2』などシリーズ化して世に出してきたが、消費者も「同じ手には騙されないぞ!」と不発に終わった。
所詮、二番煎じだったのだ。
日本に帰国してみたら、ボーカルの高橋ジョージがTVでお昼のコメンテーターになっていてビビった。 しかも、妻が三船敏郎の娘だとー!!
まぁ、別にどーでもいいけど。
大江千里の『HOME』と言うアルバムを持っているので、久しぶりに聴いてみた。
有名なのは『格好悪いふられ方』という曲だが、アルバム全体を通じてすっげーポップ。 これを王道ポップと言わずして、何と言う!
ただ、歌い方にイラッとするのは俺だけ?
あと、CDジャケットに写っている大江千里のジャケットと眼鏡のセンスがおかしい。
80年代の薄れゆく記憶の中に、これまた薄っすらと残っているのがEPO(エポ)。 確か・・・CDを持っていた記憶がある。
だが、どんな曲だったのか?のは一切記憶にない。
他には・・・H2Oとか、L⇔Rとか、To Be Continuedとかは存在だけは薄っすらと脳の片隅に残っているが、どんな歌を歌っていたのか?は、やはり記憶にない。
絶大な人気を誇ったバンドに、REBECCA(レベッカ)がいる。
『Moon』という曲の中で、「せんぱーい」という声が入っているように聞こえるらしく、「自殺した女の子の声よ、キャー!」とクラスの女子が騒いでいた。
俺は・・・な〜んにも聞こえなかった。
中学校の頃、元祖ビジュアル・バンドの一つBUCK-TICKの『悪の華』というアルバムを持っていた。
懐かしくなって、久しぶりに買って聴いてみて驚いた。
音が軽っ! 昔はそんなに意識していなかったが、今聴いてみると音がペラペラで安っぽい。 レコーディングの技術の差だろうが、衝撃的であった。
ちなみに、彼らは今も活動しているそうだ。
BUCK-TICKに近いポジションに、BY-SEXYAL(略してバイセク)というバンドがいた。
大人になってから考えてみれば、とんでもない名前のバンドである。 「自分たちは同性愛者です」と公言するに等しいネーミングで、KABA.ちゃんよりも遥かに昔のカミングアウトは、それだけでも時代の先駆者として貴重である。
ただ、どうやらバンド名だけで、メンバーの皆さんは実際には女が好きなようである。
ダメじゃん・・・
他には、ビジュアル・バンドと言えばGilles de Rais(ジルドレイ)とか、D'ERLANGER(デランジェ)とか、Zi:Kill(ジキル)などいた。
少し後だと、黒夢とかいたな・・・
昔、XのYOSHIKIが、TMN(当時)の小室哲也とユニットを組んだことがある。 それがV2だ。
確か、ネーミングはロックバンドU2のパクリだとか・・・?
わずか1曲だけのシングル発表と、「ついにYOSHIKIが歌うのでは?」という世間の期待を見事に裏切り、小室がフニャフニャ声で歌って、YOSHIKIがピアノを弾くというスタイルで、Xファンはがっかりしたのだった。
その後、時代は織田哲郎から小室哲也に移っていくのであった。
そういえば、SIAM SHADEってどこ行った?
『1/3の純情な感情』という曲がヒット以外に、何かヒット曲があったっけ?
ちなみに、タイでは“SIAM”と書いて“サヤーム”と読むので、ずっと「サヤーム・シェイド」というバンドだと思ってた・・・
ダメだ・・・限がない!
他にもSing Like Talkingとか、叫ぶ詩人の会とか、44マグナムとか、H Jungle with Tとか、忍者とか、色々いるが覚えていたところで世の中で何の役にも立たないことだけは覚えておこう。 |
 
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