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日本帰国後日記(1/3)





帰国旅行('06/1〜'07/12)まとめ
 2007年12月6日に、日本へ帰ってきました。

 2006年1月18日に、喜望峰で有名な南アフリカのケープタウンを旅立ってから、52カ国+4地域を通り抜け、1年11ヶ月(687日)かかってのゴールでした。

 旅費総額は202万1,910円で、計算すると月当たり約88,000円使っていた。

 陸路にこだわってみたが、飛行機を使ったのはイエメンで国内線に乗ってソコトラ島に行った時と、アラブ首長国連邦(UAE)からエジプトまで飛んだ時の2度。
 アフリカ大陸を北上してくると邪魔になるのがスーダンで、ビザが取り難い。 そこでアラビア半島へ船で逃げたが、今度はサウジアラビアが邪魔になった。 UAEからイランへ船でペルシャ湾を横断すれば、日本まで完全陸路で帰ることは出来たが、ルートを優先してエジプトまで飛んだ。

 旅行中に病気になったことは何度かあるが、お腹を壊したか風邪をひいた程度。 1度だけ、アフリカのルワンダで病院に行った。 症状がマラリアなのか風邪なのか分からず血液検査をしたが、結局は風邪だった。
 海外旅行保険には加入していなかったが、結果的には問題なかった。


 陸路による旅行を決めたのは、旅立ちのわずか1ヶ月前である。 入念な計画などは皆無だった。
 それまでは、船でヨーロッパに行き、サッカーのワールドカップをドイツで観戦するつもりだった。 ところが、ケープタウンからドイツまでの船の料金が40〜50万円することが分かり、船でのヨーロッパ入りは諦めざるを得なかった。 船が使えないとなると、必然的に陸路しか選択肢がなくなる。
 ワールドカップを観戦するために急遽、陸路でドイツを目指すことにした。 出発の1週間前にバックパックを買った上に、荷物がまとまらず、出発前日までズールー族のペニスサックを持って部屋をウロウロしていたほど急だったのである。
 結局はワールドカップには間に合わず、試合はエジプトのカイロでテレビ観戦したけど・・・

 この程度の旅立ちだったので、まさか日本まで陸・海路で23ヶ月もかかるとは思ってもいなかった。 ドイツから日本までも陸路で帰ることになるとは思ってもいなかったし。
 そもそもが気合など全く入っていなかったから、出発して最初の2日くらいで「こんなはずでは・・・」と後悔したが、すでに後の祭り。 何を後悔したかって、移動が嫌いな俺にとってアフリカの移動はハード過ぎ! ケニアのナイロビからエチオピアの国境まで、ローリーの荷台で足さえ伸ばせない窮屈な態勢で55時間って・・・
 東京から大阪までバスで遊びに行こうかな?と軽い気持ちでバス・ターミナルへ行ったら、待っていたのがダンプカーで、しかも荷台に載せられた上に「道路は走らん!」とか言われてオフロードを走って大阪に向かわれた・・・というのと同じ状態である。
 結局は、少し移動しては数日休憩を繰り返していたので、日本まで23ヶ月かかったのは仕方がないといえば仕方がなかったのだろう。 最近では、一桁の移動時間であれば「近いな」と感じるようにまで成長(?)してしまった。


 今回の旅に、色々とタイトルを付けて振り返ってみたいと思う。

 まずは、『おススメの国』は?!
 これはねぇ〜、正直言って難しい。 “国”とたったの一言で言ってしまうが、同じ国内でも地域によって雰囲気が違う場合があるだろうし、その時に偶々出会った人々の印象で好き嫌いが形成される場合もあるだろうし、旅行する人自身の趣向も関係してくるだろうし、色々な要素が絡んで「あの国は良い」という非常に主観的な意見が出来あがるからねぇ・・・と、言い訳をした上で発表します。

 ・イエメン
 ・クロアチア

 出来るだけ客観的な視点に立って選んだとして、この2カ国かな? 思いっきり主観的に言ってしまえば、モニカが接待してくれたスロベニアも凄く良い思い出があるし、チェコオーストリアも美しい国だったし、グルジアだって酒は安いし、女は美人だし、治安は極悪だし、1ヶ月もいたくらい気に入っていたし、他にも良かった国は沢山あった。 そもそもが、『嫌いな国』がほとんどなく、どの国でも良い思い出が多いから選定が難しい。

 イエメンは、『異国情緒』を強力に感じさせてくれる国としておススメだ。 今まで合計で73カ国に行っているが、イエメンほど「異国」を感じさせた国はない。
 まず、1ヶ月滞在したが女性の顔は一度も見れなかった。 イエメンは超保守的イスラム教国である。 女性は全員チャドルを着用しているので、見た目は忍者である。 全身真っ黒で、目の部分しか見えない。
 男性は裾長のワンピースを着用し、『ジャンビーア』と呼ばれる半月刀を体の前面に差している。 イエメン男子にとってジャンビーアは、侍の刀と同じように魂である。 ジャンビーアを抜く時は、相手を必ず殺す時であり、つまりは無闇に引き抜くものではない。 まぁ、今はジャンビーアの刃はステンレス製で出来ている場合がほとんどなので、斬りつけられても死なないけど。
 明治初期に廃刀令が布告されて刀を捨てた日本の侍と違い、イエメンの男はジャンビーアを捨てていない。 国家の近代化という観点で考えれば別の話になるが、民族固有の伝統・文化を今に伝え続けている点で見れば、日本が失くしてしまったものをイエメンは持っているのだ。
 さらには、首都サナアの旧市街がさらに「異国」雰囲気を演出してくれる。 1800年前に建てられた『世界最古の摩天楼』は、必見に値する旧市街だ。 迷路のような小路を進んで行くと、まるで自分がタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。 小路を歩いているのは、全身黒装束の女たちか、ジャンビーアを差した男たちである。

 イエメンの南にある『インド洋のガラパゴス』ソコトラ島も良い。
 ソマリア沖にあるソコトラ島には、美しい海、珍しい固有の動植物が生息している。 クソ暑いが、行く価値はある島だ。
写真左は、エメラルドグリーンが美しい遠浅ビーチ。
写真右は、変な形の木『竜血樹』。 竜血樹の森もある。

 クロアチアは、非常に美しい国だ。 “アドリア海の真珠”と称えられるドブロヴニク、エメラルドグリーンの湖群が広がるプリトヴィッツェ国立公園、整然とした街並みに数百年前の建造物が残る首都ザグレブなど、見所は充分。 あまりメジャーではないが、イストラ半島にも美しい旧市街が残る町が沢山ある。 UNESCOの世界遺産に登録されているポレチュという町もあるが、俺が好きなのはロヴィンという町の旧市街。 アドリア海の美しさと、赤い瓦の屋根が映える旧市街の街並みが素敵。 ただ、アドリア海沿いの町はどこも似た感じなので、モンテネグロにもクロアチアのような美しい町が多い。 でも、総合的に考えてクロアチアに行っておけば間違いない!
 是非レンタカーを借りて、アドリア海沿いをドライブして欲しい。
 でも、行くならカップルでしょー。
写真左は、プリトヴィッツェ国立公園。
写真右は、首都ザグレブの街並み。


 『この町が好き!』なのは?!
 町単位の方が選びやすい。 国の説明が長過ぎたので、ここはサクッと短く・・・
 イエメン「サナア」は、間違いなく世界屈指の旧市街でしょう! 『世界最古の摩天楼』で1800年前にタイムスリップしましょ。
 エジプト「ダハブ」は、海に入れば全て分かる! 船を使わずに陸からちょろっとシュノーケリングしただけで、珊瑚の崖と熱帯魚の群れに出会えるのは希少な場所だろう。 町の雰囲気も良い。
 クロアチア「ドブロヴニク」は、“アドリア海の真珠”そのもの。 有名な観光地だが、有名なことが納得できる景色だ。
 クロアチア「ロヴィン」は、町のサイズが良い。 小さな旧市街は、日が暮れた後に美しい雰囲気になる。 ポッとほのかに光る街灯が、石畳の小路と建物を照らして中世ヨーロッパにタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。
 チェコ「プラハ」は、行くまでは興味がなかったのだが、実際に行ってみて有名な理由が分かった。 “ヨーロッパで最も美しい都市のひとつ”であることに議論の余地はないでしょ。
 チェコ「チェスキークルムロフ」は、“小さなプラハ”と呼ばれているUNESCOの世界遺産。 ここもクロアチア「ロヴィン」同様に町のサイズが小さくて好き。
 エストニア「タリン」は、新市街と旧市街がきっちりと分かれているのでバルト三国の中で雰囲気が一番良い。 ドイツ騎士修道会が造った街並みは、ドイツよりもドイツらしいと言われる。
 ロシア「サンクト・ペテルブルグ」は、“北のベニス”とか“ヨーロッパの窓”と呼ばれているが、間違いなくヨーロッパ屈指の歴史的建築物の規模を誇る! 歴史の長さではウィーンやプラハに劣るが、町の規模では勝るとも劣らない凄さだ。
 ベラルーシ「ミンスク」は、スターリン時代のソ連がそのまんま残る町ごと『ソ連博物館』だ! 政府官庁の前に残るレーニン像、大通りに威圧するように建つ旧KGB本部、やたらと戦車のモニュメントがあり、博物館の内容はソ連時代から変わっていない。
 ルーマニア「ブカレスト」は、共産主義臭い街並みに資本主義の活気が交じり合って、“旧共産国の今”を特に感じる町だ! 世界第2の大きさを誇る『国民の家』など、スターリンに負けず劣らずのチャウシェスク的巨大建築物が見所。
 トルクメニスタン「アシュガバード」は、“おとぎの町”でしょう! ここはやばい! 黄金のバシュ像があり過ぎ! 太陽に必ず正面を向くように太陽の動きと合わせて回転する黄金像まであるし。 バシュの肖像画も飾られ過ぎ!
 “中央アジアの北朝鮮”はここのことだ!


 ちょっと細かい旅行ネタのランキング。
 『ベスト・コストパフォーマンス安宿』は?!
 安い宿は世界中に沢山あるし、お金さえ出せば設備が良い宿も腐るほどある。 しかし、費用対効果(コスト・パフォーマンス)となると難しい。 大抵は「安くて悪く」、「高くて良い」からだ。
 そんな中で『ベスト・コストパフォーマンス安宿』に輝くのは・・・
 エジプトのルクソールにある『Sherief Hotel』でしょう!!
 エアコン付きツインルームです。 もちろん室内にシャワー・トイレが付いており、TVも置いています。 しかも朝食付き。
 これでお値段は・・・たったの7.5E£(約150円)/人!!
 もちろん1日中エアコンをつけっ放しにしていたのだが、電気代を考えると利益が幾らになるのか不思議で仕方がない。

 マイナス要素は、従業員にエロ下心があるので女性宿泊客にはうざく感じる場合があるということだ。 ただ、「エジプシャンだからねぇ〜」という一言だけで世界中の人が納得してしまうほど、『エジプト人の男が外国人女性に対して下心あり』なのは有名なことだから、この宿だけが特化しているわけではない。
 しかし、これも逆手に取ればプラス要素に変わる。 あなたが女性の場合、「お腹空いた」と言ってみよう。 サンドイッチを買ってきてくれる。 「喉が渇いた」と言ってみよう。 ジュースを買ってきてくれる。 「ビールを飲みたい」と言ってみよう。 わざわざ買いに行ってくれる。
 宿+パシリで、約150円は安くないですか?
 ルクソールは一大観光地なので外国人に対してボッタクってくる。 でも、従業員が買ってきてくれればそんな心配も不要なのである。

 ガイドブックに載っていない宿なので、探してみてください。


 じゃぁ、『プチ沈没してしまった宿』は?!
 『沈没』・・・これはバックパッカー用語なのでしょうか?
 一定の町や宿でダラー&ボケーっとすることを、一般的には『沈没した』と言います。 俺の場合、自分が沈没したことは認めないスタンスを取っておりますが、ここは敢えて『プチ沈没した』と半分認めて譲歩しましょう。

1位:キルギス・ビシュケク『サクラ・ゲストハウス』に48泊
2位:トルコ・イスタンブール『Tree Of Life』に44泊
3位:グルジア・トビリシ『ネリ・ダリの家』に25泊
4位:エジプト・カイロ『サファリ・ホテル』に19泊
4位:ブルガリア・ソフィア『Sister's Inn』に19泊
4位:ウズベキスタン・サマルカンド『B&B Bahodir』に19泊
7位:ケニア・ナイロビ『New Kenya Lodge』に18泊

 同率4位が3ヶ所もありましたが、意外と1ヶ所には長居していませんね。 健全な旅行者だったようです。
 では、宿で何をやっていたのか?
 ナイロビでは、ずーっと同じメンバーと一緒だった。 ナイロビ組の面々は、タビフーフ加倉さん藤さんせかたびヒマさん他、ミラクルも含めた20人以上の日本人。 毎晩、皆でアフリカについて朝まで語り合ったり、ダハブ・ゲームをしたりしてました。 皆でマイクロバスを運転手付きでレンタルして、ナイロビ国立公園サファリツアーを敢行したりもした。
 でも、宿の前で毎日のように暴動が起って、警察が催涙弾をぶっ放して行くのには困りました。
 サマルカンドでは、ビール飲んでた。 だって、とろけるくらい暑いから! 宿で朝飯も夕飯も食べられるし、ビールも買えるから、一歩も外に出なくても生きていけちゃうんだよね。
 ソフィアでは、カジノに行ってた。 ナイロビでも行ったけど、ソフィアでは気合が入ってたからね! 結果は、トータルで3レバ(約250円)の勝ち・・・ 宿では、タイチ君や他の旅行者たちと『桃太郎電鉄DX』をしていました。
 カイロでは、何やってたんでしょ? ほとんど外出してませんね。 ナイロビ組の数人とも再会し、ご飯を作ってもらってました。
 トビリシでは、コニャックとワイン! ワインが1リッター2ラリ(約135円)で買えるとなれば、アル中路線まっしぐらに進むしかないでしょー。 かのスターリンも愛飲したほど、グルジアの赤ワインは有名です。 さらにグルジアは食事が旨い! 食に関しては超保守的な俺が旨いと思うわけだから、大したもんです。
 イスタンブールでは、学生の卒業旅行シーズンに重なり、宿も常時満室の上に入れ替わりも激しかったが、8人前後の常時滞在メンバーがいた。 せかぷら岡くん、ケミショー等と、ひたすら酒を飲んでいました。 よく『カツオのたたき』とか、刺身を食ってました。
 ビシュケクでは、ウォッカに走ってました。 あとはサウナに入って、プールに飛び込むか。 2007年で1番楽しかった夜を、ここで過ごしました。 ドイツ人、フランス人、アイルランド人、イギリス人と『インディアン・ポーカー』をして、負けた人がウォッカを一気飲みするゲームでテンションが上がってしまい、大して面白くもないことにゲラゲラ爆笑。 急に皆でサウナに入ることになり、深夜2時から薪割り。 その後、5時頃までサウナに入ってはプールに飛び込んでいました。 この夜、宴に参加していた8人以外は寝られなかったそうです。 怒ってチェックアウトしていったアメリカ人、ごめんね。
 この宿では、デューク東城さんいくお君ゆうき&あきこカップルイバさんピロシ君恭平&真野君他、沢山の人と知り合い、そしてチンチンをハエ叩きで叩いてしまいました。 この場をお借りして、某大学冒険部の皆様にはお詫び致します。


 今度は、方向性を変えて・・・『ワースト食べ物大賞』は?!
 基本的に外国飯に興味がないので、「美味しかったぁー!」と思った食べ物が思い出せない。 不味かった食べ物の方が記憶には残るものだ。
 やはり、総合的に食べ物が貧しいのはアフリカだろう。
 誤解しないで貰いたいのは、『貧しい』というのは『食べる物がない』という意味ではない。 『食べ物の選択肢が少な過ぎる』という意味で『貧しい』のである。 『アフリカ』という“ブランド力”だけで、日本人は直ぐに「可哀相」とか「飢餓で貧しい」という発想を抱くから、気をつけましょう。
 地域によって呼び名が『シマ』、『パップ』、『ウガリ』と変わる、トウモロコシの粉を水で溶いて煮た物体は、アフリカ南部の主食。
 はっきり言って、味はないです。 だって味付けしてないもん。
 写真右の『シマ』を手でちぎり、にぎにぎして丸めます。 それを写真左の魚丸焼きと、正体不明の液体に付けて食べます。
 俺は美味しいとは全く思わないが、これは俺にとってワーストではない。 だって、1回しか食べたことないし・・・ では、何を食べていたのか?は記憶にないが、餓死していないところを見ると何かしらは食べていたようだ。 つまり選択肢が他にもあったわけだ。
 では、何がワーストか?と言うと・・・

 エチオピアの主食『インジェラ』である!! パチパチ
 「どんな食べ物ですか?」とよく聞かれるが、「見た目は雑巾、味はゲロ、食感はスポンジ」と説明している。 この説明がいかに正しいかは、実際に食べたら納得するだろう。
 インジェラは、テフの粉を水で溶いて発酵させてから焼いたものだ。 「テフって何ですか?」という質問はシカトさせてもらう。 インジェラは、スポンジ状になっており、気泡だらけのクレープみたいだ。
 これは発酵させるから酸味があり、胃酸と同じ味がするのである。 ゲロった後のお口に広がる胃酸と同じ、爽やかな酸味がお口の中にフワーッと広がって・・・まっずー!!
 写真で、インジェラの上に載っているのが『ワット』である。 タイ語で『寺』を意味するワットだが、エチオピアでは『おかず』を意味する。
 このワットだが、これだけ食うと中々旨いのだ! 一部、『バレバレ』が付いていたりするとすっげー辛いけど。 『バレバレ』は、唐辛子がベースの香辛料である。
 一度、食堂に入って「ワットだけをくれ」と注文したことがある。 すると、「ない!」と断られてしまった。 じゃぁ、何があるのか?と聞けば「インジェラ」との答え。 選択肢はないのかよ!と思いながら、嫌々注文すると出てきました・・・ワットが上に載ったインジェラが。
 だからー、このスポンジは要らねぇから、上に載ってるおかずだけ大盛りでくれ!

 首都のアジス・アベバは良いんです。 選択肢が沢山あるから。
 でも田舎に行くと、選択肢は『インジェラ』と『スパゲティ』の2つであることが多い。
 「スパゲティならいいじゃない?」と思うでしょ。 甘いな。
 あなたは、エチオピアン・スパゲティの不味さを知らない! 『スパゲティ』などという名は付いてはいるが、ベチャベチャの麺、『バレバレ』テイストの味は、本家イタリアのスパゲティとはかけ離れた代物だ。

 ここで話は脱線して、エチオピアとイタリアについてちょこっと。
 『アフリカで唯一どこの植民地にもなったことがない』というのがエチオピア人の誇りである。 だが実際には1936年から1941年までの5年間、エチオピアはムッソリーニ率いるイタリアに併合されていた。
 その影響で、スパゲティが広まったのだ。 さらには、未だにエチオピアでは広場のことを「ピアッツァ」と呼ぶ。 思いっきりイタリア語である。
 エチオピアでは、エチオピア暦という独自の暦を使っているが、この暦の上では1936年から1941年までの5年間は“なかったこと”になっている。 そこまでして否定したいようだが、スパゲティとかピアッツァとか、けっこう影響されてんじゃん・・・

 ちょっと歴史に詳しくなるワンポイント講座ぁー!
 ムッソリーニ率いるイタリア軍が本格的なエチオピア侵攻を始める前の1934年、『ワルワル事件』なるものがありました。
 バレバレとか、ワルワルとか、オレオレ詐欺とか・・・
 エチオピア領土のワルワルという地域にイタリア軍が勝手に要塞を築き、道路まで建設し始めて、明らかにエチオピア侵攻を狙った軍事行動を取り始めた事件を『ワルワル事件』と呼びます。
 これに対抗して、エチオピア帝国の皇帝ハイレ・セラシエは国家総動員を発令! 約50万人の新兵を集めました。
 凄いねー!

 でも、大部分は槍と弓矢で武装していたそうです・・・弱っ!

 スパゲティの話から、ワルワル事件に脱線してしまった。
 ゲロ不味なスパゲティもあるが、エチオピア人にとっての『ナショナル・フード』はやっぱりインジェラ。
 インジェラをおかずに、インジェラを食ったりします。
 朝からインジェラを食っているのを見て、日本人と「朝インジェラしてるよ〜!」と驚いたもんです。 うちらからしたら、相当な気合を入れないと食えないのに、奴らはまるで朝マックでもしてるかのようにお気軽インジェラ。
 降参です!

 多分、日本でもエチオピア料理のお店に行ったら絶対にインジェラを食べられると思うけど、味が違いそう。
 それでも俺は、日本で金を出してまで食う気はない。


 誰しもが「あの時、こうしておけば良かった・・・」など、過去の決定について後悔していることもあるはず。
 『今回の旅を振り返って後悔していること』は?!
 基本的には過去について後悔しないタイプなのだが、少し悔やんでいることは2つある。

 一つ目は「北極圏からロシアに入国しなかったこと」だ。
 フィンランドの首都ヘルシンキでかなり迷っていたのが、フィンランドを北上して北極圏内に突入、北緯68度に位置するロヴァニエミから国際バスに乗って、北緯68度58分のロシア・ムルマンスクへ抜けるルートだった。
 日本の最北端は、択捉島のカムイワッカ岬で北緯45度33分である。 そのカムイワッカ岬とムルマンスクの間の23度の緯度差は、東京とバンコク間の緯度差とほぼ同じだ。 択捉島を「だいぶ南にあるねぇ!」と思ってしまうほど、北に位置する。
 この国境越えをした旅行者の話は聞いたことがない。 絶対にいるとは思うが、メジャーではないことだけは確かだ。

 非常に通ってみたかったルートなのだが、交通費の高さに断念してしまった。 ヘルシンキからムルマンスクまで、途中1泊だけしたとしても200ユーロ(約30,000円)を超える。
 さらに、ムルマンスクまで行ったとしても、今度はロシア領内を南下してヘルシンキとほぼ同緯度のサンクト・ペテルブルグまで下ってこないといけない。
 結局、最終的にはヘルシンキから真直ぐ東に向かって、サンクト・ペテルブルグに入った。
 この時の判断が、思い起こしてみれば少し悔やまれる。
 だけど、この時の所持金の状況を考えれば仕方なかったとは思うけど。

 仮に、北極圏の国境越えルートを通っていたら、アフリカ最南西端のケープタウンを出てひたすら北を目指し、北極圏まで北上してしまった『真直ぐルート』になったのだが・・・

 二つ目は「ソマリランドに行かなかったこと」だ。
 世界を見回してみても、完全に無政府状態の国はソマリアを除いて思いつかない。 イラクやアフガニスタンは内戦状態にはあるが、一応は政府が存在している。
 だが、『アフリカの角』と呼ばれるソマリア半島にある『ソマリア』という国には政府がない。
 1991年にソマリアでは内戦が勃発、『ソマリア民主共和国』は崩壊し、憲法も廃止された。 それ以来、国際的に認められた政府が出来ていないため、現在のソマリアには公式国名なるものは存在しない。
 各地の軍閥が群雄割拠して、『北斗の拳』さながらの無法地帯になっている。
 一応、昔にアメリカ軍を中心とした国連平和維持軍が介入したことがあるのだが、軍閥のアイディード派を率いるアイディード将軍が『国連』に対して宣戦布告! 国連パキスタン軍の兵士24名を殺害。 これに対して米軍は特殊部隊『デルタフォース』を投入して作戦を実施するも、激しい応戦に遭って米兵18名とマレーシア兵1名が死亡。
 この時の様子を映画にしたのが『ブラックホーク・ダウン』である。 この時の『モガディシュの戦闘』がきっかけとなって、アメリカ軍はソマリアから撤退。 主力を失った国連平和維持軍は順次撤退していき、その後は世界から放置プレイ中。
 結果は、未だに『北斗の拳』ワールド。

 完全に国が滅茶苦茶な状態で、旅行者が入ったらほぼ生きては帰って来れないでしょう。
 こんな状態に嫌気が差しているのは、ソマリア人も一緒。
 ソマリア北部では長老たちが集まって勝手にソマリアからの分離・独立を宣言して『ソマリランド共和国』を名乗り出した。
 その直ぐ南に位置する地域でも、有力氏族が『プントランド共和国』樹立を宣言。 今をときめく戦国時代の様相を呈している。

 ところがこの『ソマリランド』、無政府で『北斗の拳』状態の本家ソマリアとは違い、大統領は独自に選出するわ、独自通貨“ソマリランド・シリング”は持ってるわ、治安も比較的安定しているわで、世界中が国家としては認めていないが、ソマリアとは別モノと考えて良い。
 このソマリランドは、エチオピアの首都アジス・アベバに大使館を持っており、ここでビザを取ることが出来る。
 行きたかったんだけどねぇ〜・・・ イエメンで人と待ち合わせをしていて、日程が詰まっていたのと、ソマリランドまでの道のりがハードなことを考えて断念してしまいました。
 ちなみに、ソマリランド人はすっげー親切らしいです。
写真(知人提供)は、ソマリランドで転がっていた戦車。


 じゃぁ、今度は逆に『あれはやっておいて良かった!』と思っているものは?!

 やはり『野生のマウンテン・ゴリラに会いに行った』ことだ。
 知っていましたか? 今、世界には野生のマウンテン・ゴリラがたったの700頭しか生息していないことを。
 生息地は、赤道直下のアフリカ中央部で、DRC(旧ザイール)、ウガンダ、ルワンダの3カ国にまたがった地域だ。
 それぞれの国にある国立公園でゴリラ・トレッキングが出来るが、俺が選んだのはルワンダ。

 気になるお値段だが・・・375USドル(約4万3千円)!!
 ツアー料金じゃないよ。 国立公園に払うお金だから。
 他の国々の値段は知らないが、ほぼ一緒であると聞いた。
 写真撮影は問題ないが、ビデオ撮影しようとしたら、まず5,000USドル(約60万円)を払い、さらに1日当たり3,000USドル(約35万円)を払う必要がある。 最低でも95万円・・・

 料金は、ガイド&護衛が付いたトレッキング代である。
 ポイントは、“ゴリラに会えるまで”トレッキング出来ることだ。
 ゴリラは毎日移動するので(遊牧ゴリラ)、1日目で会えない場合もある。 その場合は次の日もチャレンジする。 つまり、375USドル払えば確実にゴリラに会えるのだ。
 護衛にはルワンダ軍の兵士が付く。 1999年に、隣国ウガンダでゴリラ・トレッキング中のイギリス人観光客8名が反政府ゲリラに誘拐されて殺害された教訓を踏まえての策である。

 トレッキングでは、俺が想像していたようなジャングルちっくな山と違い、竹林に覆われた山を登って行く。
 ガイドによると、ゴリラは笹の葉っぱとか、竹の子を食べるそうだ。
 パンダと一緒なんだ・・・

 山を登り始めてから、約1時間半。
 トレッカーから、『スサ・グループ』が山を下って俺らの方向に向かっているとの連絡が入った。 こちらから出向くまでもなく、向こうからやって来たのだ。
 立ち止まって、ゴリラが来るのを待つ。
 すると・・・

 出たー!! 野生のマウンテン・ゴリラ!!
 正直言って、ビビりました。 デカイし、近いし、迫力が凄い!
 ゴリラに比べたら、上海の暴力ぼったくりバーのお兄さんの方がカワイイですよ。
 ゴリラのオスは、12才を過ぎると背中に銀色の毛が生えてくるので『シルバーバック』と呼ばれている。
 この『スサ・グループ』のボスは、シルバーバックの中でも一番体が大きく、体重は200kgを超え、体も逆三角形で、筋肉ムキムキっぽい。

 そんな『生キング・コング』たち35頭に囲まれてビビりまくり・・・
 向こうはこちらを全然怖がっていない。 悠々とこちらに向かって歩いてくる。
 「おらっ、どけ!!」的な不遜な態度である。
 こっちなんて、へっぴり腰である。
 ガイドからは「近づかないで下さい」と言われるのではなく、「近づいて来るので、離れて下さい」と指示される。
 人間が持っている病原体を野生のゴリラにうつしてしまわないように、ゴリラとの距離は2〜3m必要なのだ。

 子供ゴリラが、人間に興味津々に近づいて来ては、文字通り転がりながら勝手に逃げて行ったり、大人ゴリラたちが生の竹の子(アルコール分を含んでいる)を食べて酔っ払って、胸をバチバチ『ドンキー・コング』したり、見ているだけで面白かった。

 約4万3千円は高かったけど、行って本当に良かったと思えた。


 今回の旅行で52カ国を通ってきたが、同時に4地域を通過している。 4地域とは、世界から国家として認められていないか、帰属が曖昧になっている地域のことを指す。
 地域の定義を身近な例で言えば、『台湾』がそうである。 どこからどう見ても国家であるが、世界中から国家としては認められていないので“地域”に分類されてしまう。
 『ソマリランド』も“地域”である。
 そんな『帰属が曖昧な地域』はどうだったか?!

 この旅で行ったのは、コソヴォ自治州、(自称)沿ドニエストル共和国、(自称)南オセチア共和国、(自称)ナゴルノ・カラバフ共和国の4地域である。
 「どこだよ、それ!?」と世界地図を広げても、載っていない。
 だって、コソヴォ以外は『自称国家』だから載せるわけがない。
 『ソマリランド』に対抗して、俺が実家で『ゆずランド』の独立を宣言したところで、あくまで自称なわけだから世界地図に載らないのと一緒である。

 あっ、ちなみに『ゆずランド』のランドは、国を表すディズニー・ランドのランド(Land)じゃありませんよ! スペルは『Rand』です。
 意味?
 『ゆず円』みたいな感じで、南アフリカ共和国の通貨単位です。

 コソヴォ自治州は『コソヴォ紛争』とか『コソヴォ難民』で有名だから、知っている人も多いかも知れない。
 セルビアという国の南にある自治州で、コソヴォに住んでいるアルバニア系住民が「セルビアから独立するんだもん!」と独立運動を激化。 「独立させるもんかぃ!」とセルビア軍が鎮圧。 その時に、セルビア軍がアルバニア系住民を虐殺したとして、NATO軍が「懲らしめてやるんだぃ!」とセルビアの首都ベオグラードを爆撃。
 で、間違って(?)中国大使館を爆撃しちゃった。
 このコソヴォ問題って、なかなか簡単な問題じゃない。 だって、コソヴォって昔からセルビアの領土だから。 そこにアルバニア人が沢山移住してきて、その内にコソヴォの人口の90%を占めるようになってしまった。 だから「独立するんだもん!」と言ったところで、セルビアが認めるわけがない。
 そんなもん認めたら、横浜の中華街はどうなるんですか?
 中華街における中国人の人口が90%になったから「中華街は独立します!」と言ったところで、日本が簡単に「無問題(モーマンタイ)!」と言うわけがないのと一緒だ。
 でもコソヴォの場合は、近々独立するみたいね。
 写真左は、道路標識。 コソヴォ内の道路標識には、必ずセルビア語とアルバニア語が併記されているのだが、セルビア語がスプレーで消されている。
 写真右は、州都プリシュティナ郊外に立っていた速度標識。 戦車の速度制限と、トラックの速度制限が一緒である。 戦車もスピード違反したら捕まるのかな? 俺なら・・・捕まりそうになったら戦車砲をぶっ放す!

 現在、コソヴォは『国連コソヴォ暫定行政ミッション(UNMIK)』の管理下にあり、マケドニア側からコソヴォに入ると出入国管理はPKOがしている。 入国スタンプは国連マーク入りのUMNIKのスタンプだ。
 でもそのスタンプでセルビアに入ったら出入国管理法違反で拘束されるので気を付けよう。 マケドニアに戻るか、モンテネグロに抜ければ大丈夫だ。

 (自称)沿ドニエストル共和国(PMR)は、旧ソ連の構成国であるモルドバの中にある。
 モルドバを北から南に、国土を分断するように流れている川がドニエストル川である。 その川から東側のウクライナに隣接する地域が勝手に独立を宣言して、「ドニエストル川沿いの国」という意味の『沿ドニエストル共和国』を名乗っている。
 もちろん、モルドバがすんなりと独立を認めるわけはなく、戦闘になった。 モルドバの裏にはルーマニア、沿ドニエストルの裏には大国ロシアが付いた戦争の結果は、もちろんロシアを味方につけた沿ドニエストルの勝利で終わる。
 が、ロシアも含めた世界の国々は、こんな国を認めていない。
 一応、沿ドニエストルを認めている国があるにはあるんだけど・・・ アブハジア共和国、南オセチア共和国、ナゴルノ・カラバフ共和国の3カ国と、完全に自称国家同士の慰め合い!!
 俺は、この4カ国を『悪の枢軸』と呼んでいます。

 自称国家の公式ホームページはこちら(ほぼプロパガンダ)
 沿ドニエストル共和国は、スミルノフ大統領一族の独裁体制にある。 スターリンを英雄として讃え、強大なソビエト連邦の再来を待ち望む、生ける化石のような国である。
 しょーもない自称国家のようだが、何気に独自の軍隊、独自の警察を持っている上、独自の通貨まで持っている!
 その名を『沿ドニエストル・ルーブル』と言う。
 コインの裏には旧ソビエトの紋章である“鎌とハンマー”が描かれ、お札にはヒゲを生やしたおっさんの絵が描いてある。 この独自通貨だが、沿ドニエストルの領域を一歩出たら、ただの紙切れになるので注意が必要だ。
 ちなみに、沿ドニエストルのパスポートにはCCCP(ソ連の略)と書かれているらしい。 もう消滅したんですよ、CCCPは・・・

 モルドバの首都キシナウから、ミニバスに乗って敵国・沿ドニエストルの首都ティラスポルに行ってきた。
 敵同士なのに、簡単に行けちゃうんです。 しかもミニバスでわずか1時間半の距離で、料金は25レイ(約230円)。
 簡単に行けるは行けるのだが、問題が沿ドニエストル側の国境。 外国人旅行者にはチンピラ並みに絡んでくることで有名である。 もちろん、目的は賄賂。
 俺も絡まれたー! 今まで何回国境を越えてきたか覚えていないけど、こんなに絡まれたのは初めてである。
 カメラのスペア・バッテリーが見付かって「これは何だ?」と聞かれたから、「バッテリーです」と答えた。 すると「何なんだ、それは?」と今までの人生で聞かれたことのない質問をされた。
 「バッテリーとは・・・バッテリーです」と言うしかねーだろ?!
 すると、「よしっ、開けろ!」と言われた。
 ほへ?! バッテリーを開けろ?! えー、開け方知らんし、開ける物ではないと思うし、開けて中から有毒物質が出てきて手に付いたら嫌だし・・・
 「いやー、それは無理だと思います」と言うと、「金払え!」
 持って行き方が強引過ぎる!!

 とにかく時間が掛かった。
 俺は、請求される賄賂は嫌いである。 請求はされていないけど賄賂を渡すことによって物事が円満に解決するのであれば好き。
 バンコクの高速道路を230km/hで運転していて捕まった時は、約300円を渡して物事が円満に解決した。 免許証の下にお札を挟んでスッと渡すのがコツである。
 しかし、今回は賄賂を向こうから“請求されている”のである。 そんなもん、絶対払うかーい!! 100円たりとも払わんぞ!
 結果、すっげー時間が掛かった・・・

 首都ティラスポルに着いた頃には、夜になっていた。
 真っ暗で何も見えず・・・ 高感度にして1枚だけ写真を撮ったのが、これだ!
 左側にレーニンの顔、右側に鎌とハンマーが見える。
 真っ暗になったので、モルドバ側に帰ってきた。 絡まれるためだけに行ったようなものである。

 (自称)南オセチア共和国は、旧ソ連の構成国であるグルジアの中にある。
 前述した沿ドニエストルとは『悪の枢軸国』として同盟関係にある。
 グルジアはグルジア人が大多数を占めるのだが、南オセチアはオセチア人が大多数を占める。 グルジアとロシアの間は大カフカス山脈が国境になっているが、南オセチアから大カフカスを挟んだ北側のロシア領内には『北オセチア自治共和国』がある。 南オセチアとしては、この北オセチアと一緒になりたいのだ。
 つまり、ロシアへの併合を望んでいる。
 一方のグルジアは、ソ連崩壊後は親欧米路線を爆進中で、EU加盟が悲願である。 加盟できるわけがないのだが、本人たちは勝手に加盟したつもりになっているようで、国中にEUの旗がはためいている。 そうなると、当然ロシアは面白くない。 南オセチア側に肩入れして、紛争に介入。
 沿ドニエストルの例からも分かる通り、ロシアを敵に回すと必ず負けるのが旧ソ連のお決まりである。
 現在でも、南オセチアではグルジア政府の実効支配は及ばず、自称国家を野放しにしておくしかない状態だ。
 南オセチアを“国家”として認めているのは、『悪の枢軸』仲間である3カ国の他に、ロシア内の『北オセチア共和国』、モルドバ内の『ガガウズ共和国』がある。
 全てが胡散臭いのである。

 そんな南オセチアの首都ツヒンヴァルに遊びに行った。
 スターリンの生まれ故郷であるグルジアのゴリからミニバスに乗って、わずか1時間。 敵同士なのに、簡単に行けちゃうのである。
 “国境”には、まずグルジア軍のチェックポイントがあり、続いて国連平和維持軍という仮面を被ったロシア軍のチェックポイントがあり、最後に南オセチア軍のチェックポイントがある。
 3ヶ所もチェックポイントがあるのだが、ミニバスの場合はノーチェック。 まんまと、いやあっさりと南オセチアに潜入成功。

 ところが、どこで降りたら良いのか分からなくなり、そのままミニバスに乗り続けていたら辺鄙な場所まで来てしまった。
 ミニバスの運転手に「お前の行き先だった首都ツヒンヴァルは通り過ぎた」と言われ、名も知らぬ村に1人置いてきぼりにされる。
 怪しげな東洋人の突然の訪問に、村人は大歓迎! 早速どこかに通報され、数分後に現れたのは迷彩服を着て、カラシニコフAK-74を肩から提げ、覆面を被った男2人組だった。
 パスポートを取り上げられ、車に乗せられた時は楽観していた。 村人に対して「ツヒンヴァル、ツヒンヴァル」と連呼しておいたから、きっとこの男たちは俺をツヒンヴァルに連れて行くために来てくれたのであろうと。 タクシーみたいなもんだろ・・・

 だが、現実はそれほど甘くはなかった・・・
 男たちの運転する車は、舗装道路から未舗装道路へと曲がった。 あれ、どう考えてもツヒンヴァルへ行く道路ではないよな?
 その後、とある建物に連れて行かれた俺は約2時間も尋問されることとなった。

 自慢ではないが、俺のロシア語は酷い。
『ハラショー!』=「良い、了解、素晴らしい、すげー」などの意
『アホやなー』(スラング)=「アホやな」の意、これ本当
『ザイヤビス!』(スラング)=「くそハラショー」の意
 ろくに会話も出来ないくせに、スラングだけは2つも知っている知的さが売りだ。
 このスラングだが・・・ ソビエト内務省軍のスナイパー(狙撃兵)としてアンゴラ内戦、アフガン侵攻に従軍、現在もロシア内務省軍・犯罪捜査局のスナイパーとしてロシア・マフィアを45人殺害し、チェチェン紛争に従軍したこともある人の良さそうなおっさんに教えてもらった。 彼は、ソビエト時代に米兵を11人狙撃して「我らがヒーロー」と皆に呼ばれていた、自他共に認める『殺しのプロ』であった。

 尋問の最初、「ロシア語は話せないのか?」と聞かれ、数字の1から5までをロシア語で言い、「ハラショー」も知ってるぜ!と自慢気に言い、最後に「アホやなー&ザイヤビス」も知ってるぜ!と言ったらウケた。
 このスラング、軍で使われているスラングなのだ。
 ウケたが、会話にはならなかった・・・

 しばらくすると、片言の英語を話せる人が来た。
 「何をしに来た?」、「お前は何者だ?」と聞いてきたので、「オイラ、健全な旅行者!」と爽やかさをアピール。 いかに南オセチアに興味があったか(大してないんだけど)を、切々と説明。 「オイラ、とにかく首都ツヒンヴァルに行きたいだけだから、連れて行っておくれ。 1泊したらちゃんと帰るから安心だよ」と安全性の説明も忘れない。
 無言で聞いていた皆は、英語を話す兵士から“俺が何を言ったのか?”グルジア語で説明を受けた後、眉間にシワを寄せて「どうしたら良いものか?」相談を始めたようだった。
 英語を話す兵士がおもむろにこう言った。
 「なぜ南オセチアに行きたいのだ? ここはグルジアだ!」

 ・・・・・へ?!
 全く想像すらしていなかったのだが、南オセチア内にグルジア軍の支配地域が飛び地になってあるそうで、俺はその『陸の孤島』に来てしまっていたのだ。
 俺は知らなかったとは言え、グルジア領土内で、グルジア内務省軍の兵士を前に、『南オセチア兵を相手に話している』と思い込んで話していたのだ。
 良かったぁ〜、グルジアの悪口とか言わなくて・・・

 「お前をツヒンヴァルに連れて行くことは出来ない!」と言われた。 た、確かに無理だろう。 上官らしき偉そうなおっさんが、色々なところに電話して相談していたようだが、結局は「今夜はここに泊まって行け」ということになった。
 軍曹らしき優しいおっさんが、俺の持っていた『ロシア語会話帳』をパラパラとめくり、ある箇所を指差して見せてきた。
 「私は迷子になってしまいました」
 ・・・まぁ、迷子と言われれば迷子だが。

 この件で分かったことがある。
 『旅先ロシア語会話帳』など、全く使えん!
 未承認国家に遊びに行ったら、飛び地になっていた本国の兵士に確保されて、尋問中に自分の身の上を説明するための会話例・必要単語が全くもって載っていないのだ!
 ホントに、全然使いものにならん!

 俺が身柄確保された5ヵ月後の、2007年9月。
 グルジア軍と南オセチア軍は迫撃砲で交戦状態に入った。 南オセチア側は戦車部隊を前線に増派。 一気に緊張が高まった。
 ちなみに、俺が確保された場所は『陸の孤島』のため、最前線どころか、周りを360度南オセチアに囲まれ、真っ先に攻撃される場所である。

 (自称)ナゴルノ・カラバフ共和国(NKR)は、旧ソ連の構成国であるアゼルバイジャンの領土内にある。
 『ナゴルノ・カラバフ』を直訳すると「山がちなカラバフ」であり、ひねりも何もない名前だ。

 自称国家の在ワシントン代表部のホームページはコチラ
 もともとナゴルノ・カラバフにはアルメニア人が住んでいたのに(1920年で94%)、ソ連時代にスターリンがアゼルバイジャン側に組み込んでしまったのが問題の始まり。
 ソ連崩壊後、ナゴルノ・カラバフ自治州はアゼルバイジャンからの独立を宣言して交戦状態に突入。 同胞を応援しようと、アルメニア軍も介入して2年半に及ぶ戦争に発展。
 ここでもやはりロシアの後ろ盾を得ていたアルメニア側が勝利。 『ナゴルノ・カラバフ共和国』を名乗っているが、世界で認めているのはアルメニアただ1カ国。
 そして、この自称国家も『悪の枢軸』の一員である。

 ナゴルノ・カラバフ共和国に入るには、アルメニア側から行くルートしかない。 アゼルバイジャン側は最前線であり、突発的に銃撃戦があったり、未だに地雷が残っていたりするので無理だ。
 一丁前に入国にはビザが必要である。 ビザはアルメニアの首都イェレヴァンにある大使館で取れるが、不思議なことに事前に取って行かなくても入国出来てしまう。
 他にも矛盾があるのだが、面倒くさいから書くのは止めた。 いずれにしても独立国家が建前であるはずなのに、アルメニアの国内旅行のように行けてしまうのである。

 首都ステパナケルトは、人口4万人程度。
 はっきり言って、しょぼい。 でも、滞在中に大統領府の前で“ナゴルノ・カラバフ国軍”の軍事パレードを見ることが出来た。 不法滞在中だったが、写真を撮っても捕まらなかった。
 今まで行った自称国家の中では一番、警察がまともだ。
 写真左は、シューシという町。 戦時下に破壊されて廃墟になった町だが、現在は難民を中心に人が住んでいる。
 写真右は、国家のシンボル『お爺さんお婆さん』! 右がお爺さん、左がお婆さんだ。 ビザにもデザインされているし、在ワシントン代表部のホームページにも載っている。


 自他ともに認める『族マニア』である俺が選ぶ、『印象に残った族』は?!
 印象的だった順に、3位まで発表。

1位:ムルシ族
2位:バトワ・ピグミー
3位:ニャンガタム族

 エチオピア南西部、ケニアやスーダンに近い低地に『ムルシ族』は住んでいる。 男の憧れスポーツカー、『ランボルギーニ・ムルシ』との因果関係はないと思われる。
 ムルシ族の特徴は女性にあり、成人女性たちは下唇や耳たぶを切って土製や木製の『デヴィニヤ』と呼ばれる皿をはめている。 皿が大きければ大きいほど美人だとか、ブサイクに見せて奴隷にされないようにしたのが起源だとか、諸説ある。
 ケニアとの国境の町モヤレからバスでヤベロへ、ヤベロからトラックの荷台でコンソへ、コンソから再びトラックの荷台に乗ってジンカまで、移動だけで2泊3日掛けて、ムルシ族に会うための起点となる町へやって来た。
 さらに、ジンカでランドクルーザーをチャーターして往復7時間かけて『マゴ国立公園』に向かう。

 雨季だったため道路は泥だらけなのだが、ランクルのタイヤは溝がないツルツル状態。 スリップで横滑りしまくりで走るから、車内に泥が飛んでくるわ、窓を開けているとツェツェ蝿の集団攻撃を受けるわで大変だった。
 ツェツェ蝿は、熱帯アフリカに生息する吸血蝿で、種類によっては『眠り病』を誘発する。 素敵な名前の病気ですが、感染すると死亡率は高く、予防ワクチン無しという、全然素敵じゃない病気です。
 ツェツェ蝿に血を吸われると、原虫が体内に侵入。 中枢神経に原虫が侵入すると、昏睡状態になって死んじゃいます。 まぁ、死に方としては良いですけどね。
 しかし、このツェツェ蝿の攻撃は防ごうと思っても防げない。
 かなり刺されました・・・ これがまた痛痒い!
 幸いなことに、この地域のツェツェ蝿は原虫を持っていなかったので助かった。 でも、コンゴのジャングルにいるツェツェ蝿はやばいです。

 ツェツェ蝿の攻撃が去ったと思ったら、今度は新たな敵が出現する。 リアル版RPGみたいなもんである。
 『チェックポイント』と呼ばれる、ムルシ族の検問所だ。
 「ここでは俺らが法律!」と言われたが、これは彼らの頭の中に『北斗の拳』の中の悪キャラ並みの発想があるがためである。
 実際に、彼らは槍や鉈で武装している。
 俺も北斗神拳の使い手であれば話は別だが、完全に雑魚キャラである。 この検問所を通るには、彼らの言い値を払わなければならない。
 頑張って値段交渉をしたが、彼らの中に「俺が法律!」という絶対定義があるため交渉は難航。 やむを得ず、言い値を払わざるをえなかった。
 完敗・・・

 このような苦労の末に辿り着いたムルシ族の村!
 だが、村に入るための『入村料』を請求され、「金ヅルがやって来た!」と村人がワラワラと集まってくる。
 写真は1枚2ブル(約26円)が、全ムルシ族に共通した相場である。 だから、彼らがあなたを取り囲んで「ツーツー、ツーツー」言いながら、ノミをうつしながら服を掴んでくるのは2(ツー)ブルが欲しいが為であり、電話を掛けたけど話し中だったからではない。

 1枚2ブルと書いたが、厳密に言うと1人2ブルである。 そのため、やたらと集合写真を撮りたがる。 こちらは1枚しか撮っていないのに、そこに6人が入っていれば12ブル取られるの計算だ。
 ちなみに、子供の場合は子供料金が適用され半額になる。
写真左は、1人なので2ブル。
写真右は、3人なので6ブル。

 とにかく営業攻勢がすごい!
 皆が「私を撮れ!」と強烈アピール。 「ち、近づくなぁー! ノミがうつる!」と、若干の抵抗はしてみるものの、目がお金マークになっている彼らを止めることは出来ない。 \($o$)/
 さわられまくって、結局ノミをうつされて大変な思いをした。

 結論; うざ過ぎる!!

 『ピグミー』・・・中央アフリカに住む背が低い(身長150cm以下)民族の総称で、現在はコンゴ盆地を中心にした熱帯雨林に住んでいる。
 そんなわけで、正確に言えば『ピグミー族』なる固有の民族集団は存在しない。
  東アフリカでピグミーに会えるのは、ブルンジ、ルワンダ、ウガンダのDRC(旧ザイール)周辺国だ。

 ブルンジでは、検問所にピグミー兵がいて少し興奮してしまったが、出来れば軍服を着ていないピグミーとじゃれ合いたい!
 本来、ピグミーは狩猟採集民族であり、弓矢で狩りをするのを得意とする。 固有の言語を持っていないのも特徴である。
 そこで、ウガンダに『バトワ・ピグミー』の村を訪れに行った。

 ウガンダ北西にあるフォート・ポータルという町から、セムリキ盆地行きのピックアップ・トラックに乗る。 もちろん荷台である。
 まず、荷台に麻袋を沢山積み込む。 山のようになったら、次にニワトリを積み込み、最後に人間が20人ほど乗り込む。
 乗り心地抜群だ!

 痔になる寸前にバトワ・ピグミーの村に辿り着いた。
 トラックで「ピグミー! ピグミー!」と連呼していれば、村の真ん前で下ろしてくれる。
 村の中に入っていくと、早速1人のピグミーが近づいて来て、俺にこう言い放った。

 「I am a king.」

 キ、キング〜?! ちっさ!!
 写真左端が俺である。 そして・・・写真中央におわすお方をどなたと心得る!! キングであらせられるぞ!
 もう一度言おう。 ちっさ!!
 もちろんキングは子供ではない。 子供どころか、おっさんである。
 思わず、「村の全員と戦って勝ったら、俺がキングになれるのでは? グヘヘヘ」と壮大な野望を抱いてしまうほど、全員相手に勝てる自信を持ってしまった。

 ここでも入村料が発生する。
 キングと値段交渉するが、なかなか強気である。 最初の言い値が2万シリング(約1,300円)で、お前調子に乗り過ぎ! 結局は2,500シリング(約160円)まで下がった。
 写真を数枚撮ったのだが、“キングとその手下ども”の「くれくれ」攻撃がすごい。
 「ボールペンくれ」、「雨具くれ」、「サングラスくれ」、「何でもいいからくれ」・・・ 俺の持ち物全てに対して「くれくれ」攻撃を仕掛けてくる。
 段々、イライラしてきて滞在10分で村を後にした。

 結論; 小さいけど、うざい!!

 『ニャンガタム族』・・・彼らの特徴を一言で表すならば、「男は常時、枕を持ち歩いている族」。
 エチオピア南部は、『族の万国博覧会』と呼ばれているほど多種多様な族が凌ぎを削っている。 実は、枕を持ち歩いている族はニャンガタム族だけではなく、カロ族などもそうである。
 しかし今回、俺が出会ったのはニャンガタム族の男であった。

 なぜ枕を??
 それは・・・「自分の枕じゃなきゃ、寝れないもん!」と駄々をこねるほど、繊細な男たちだからである。
 というのはウソだ。 眠くなったらどこでも寝れるし、疲れたら椅子の代わりにもなるからである。 直接聞いてないけど、多分そう。

 きちんと説明していなかった・・・ 多分、「枕」と聞いて皆さんが想像する枕とは違いますからね!
 木製のアフリカちっくな民芸枕ね。 一般的な枕を常時持ち歩いている男がいたら、ただのバカ・・・

 残念ながら、ニャンガタム族の写真は撮っていない。 あの時は確か、1週間近くになろうとしているトラックの荷台での移動に心身疲れ果てていて、ニャンガタム族に出会った時に咄嗟に「写真を撮ろう」と思い付かなかったのだ。
 ごめんよ。

 トラックの荷台からヘロヘロになって降りた俺に、ニャンガタム族の男が近づいて来てこう言った。

 「俺の枕、買わないか?」

 ・・・・・いらねーよ、テメエの枕なんか!!
 結論; 若干うざい!


 ケープタウンからアフリカを縦断し、中東を回り、ヨーロッパに入って東欧全てを回り、カフカス三国からイランを抜けて中央アジアに入り、中国から日本に帰ってきた。
 この経験から分かったことが一つある。
 それは、『世界は偏見と差別で溢れている!』ことである。

 海外旅行が長くなれば長くなるほど、ほとんどの人が同じ考えになるようで、色々な人と話し合った記憶がある。
 『偏見と差別』と言うと重い感じがするので、言い方を変えれば『馬鹿にされている』のである。

 誰が?

 主に中国人が、である。
 日本人だから関係ねー!と思うかも知れないが、これが意外と大いに関係あるのだ。
 例えば、アフリカのザンビアとタンザニアの国境でウヨウヨしている荷役作業労働者の前を歩いてみよう。
 「ちんちゃんちょーん!」
 「ひーほー」(ニーハオと言っているつもりらしい)
 「チャイナマン!」
 などと、ゲラゲラ笑いながら絡んでくること確実である。
 まぁ、完全に馬鹿にしているのだが、こちらがキレるのもおかしな話である。 だって、中国人じゃないのだから。
 でも、こちらが日本人であるか、中国人であるか、などという問題は向こうにとってはどーでもいい話なのである。 言ってみれば、日本で「ワタシはザンビア人でーす。 でも、妻はタンザニア人でーす」と言われたところで、そんなことはどーでもいいじゃない? どっちの国も知らねーし、どっちも黒いから見分けがつかねーし。
 アフリカ大陸に53カ国あろうが、サハラ以北と以南では皮膚の色も違おうが、赤道から離れていくほど皮膚の黒さも薄くなっていこうが、アジア的には『アフリカ人』と一括りにするのと一緒である。

 例としてアフリカを挙げたが、これは何もアフリカだけの話ではない。 少し大袈裟だとは思うが、中国に入るまでは東アジア人として「アウェーだな」と感じていた。
 今まで耳にした中で、特にアウェー度が高いのはアフリカ(特にエチオピアは有名)、中東、イラン、カフカス三国、中央アジア(特にタジキスタンは有名)など、挙げていけば東アジア、東南アジア以外の大体が入ってくる。 東ヨーロッパは、場所によってはスキンヘッド君たちにガンを飛ばされる程度で、ロシア以外だったら殺されはしない。 あっ、モルドバが若干うざかったかな?
 昔、ジャカルタ暴動後のインドネシアで「オラン・チナ(中国人)!」と集団に握り拳大の石を投げられたり、公衆の面前で「金出せ」とカツアゲされたり(出すわけないけど)、中国人と間違われると命の危険すら感じたこともあった。
 大雑把に言えば、貧富の差がある国=教育水準の低さ=経済弱者が排他的になる=ターゲットに中国人が選ばれる!という図式が成り立つ。

 ただ、アフリカでもあまりにも奥地に行き過ぎると、逆に大歓迎される。 モザンビークのマルパからモンテプエズまで横断した時は、公共交通機関もない、道路工事の人も嫌がるとんでもない道(1ヶ月に1度か、それ以下しか車が通らない程度)だったが、その道の途中の村々では大歓迎であった。 「俺って皇太子だっけ?」と勘違いするほど、沿道の熱烈歓迎に手を振った。

 つまり、中途半端に『外界』に対する知識があって、かつ自分の文化に中途半端な誇りを持っているレベルの人間に限って中国人を馬鹿にしている。
 まぁ、主な理由としては、華僑の経済力や中国人特有の気質などがあるのだろう。 俺にしたら、理由などどーでもいいのだが、とばっちりを受けるのだから、ハッキリさせて欲しい。

 ちなみに、「日本人だ」とアピールすることによって対応が悪い方向に向かったのは、中国だけであった。
 Tシャツに『I'm Japanese, not Chinese』と説明書きをしておけば楽かも。 でも、金目当ての輩がバンバン寄って来る可能性も増えると思うけど。
 かと言って、中国に入ったら入ったで日本人であるという理由から大東亜戦争の話になって「日本人嫌い」とか言われて、「はぁ・・・」みたいな感じになるわけ。
 おい! 今まで俺は貴方達の代わりに「いぇーぃ、中国人! ちんちゃんちょーん! ひーほー!」という馬鹿にされる対象として闘ってきたわけだ。 お礼はされる覚えはあっても、大東亜戦争などという昔話をされて嫌われる覚えはない。

 何なんだ・・・世界は。
 日本に帰国したら、誰も俺に向かって「ちんちゃんちょーん!」とか「ひーほー!」とか「チーナ!」などと指を指して叫んで来なくなったし、夕飯を食おうと思って入っただけの食堂で、初対面の親父に大東亜戦争の話題をされながらウジウジ文句を言われながらご飯を食う羽目になることもなくなった。
 静かだ・・・

 今は長髪ではないが、もし長髪にしたとしても見ず知らずの奴が絡んでくることもないだろう。
 「男のくせにロン毛!」と、指を指されてゲラゲラ笑われ、いきなり後ろからチチを揉まれたりすることもないのだろうな。
 男でロン毛=ホモか変態という国では確かに絡まれても仕方がないかも知れない。 だけど、テメエだってまゆ毛をマジックで繋げてバカボンに出てくるキャラみたいな顔してんじゃねーか!! テメエがもし日本に来たら、絶対に指差して笑ってやる。
 だが、日本では男でロン毛=ホモか変態ではない。 仮にホモか変態オーラを全開にしていたとしても、誰も指を指して笑ってくることはない。 コソコソと友達同士で「あの人、変」などと言われているかもしれないが、直接言って来ることはない。
 静かだ・・・




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