| 年 |
主な出来事 |
| 1866年 |
:フランスがカンボジアを保護領(植民地)とする |
| 1941年 |
:日本軍、フランス領インドシナ進駐 |
| 1945年8月 |
:日本の敗戦に伴い、フランスの間接統治が再開するが、独立運動が激化。カンボジア国王シアヌークは独立を宣言 |
| 1953年11月 |
:『カンボジア王国』として完全独立を達成 |
| 1969年 |
:アメリカがカンボジア領内をじゅうたん爆撃 |
| 1970年3月 |
:17年間続いたシアヌーク国政が、アメリカ、南ベトナム、タイの支援を受けたロン・ノル将軍率いる軍部により打倒される。『クメール共和国』成立。シアヌークは北京へ亡命し、そこで王国民族連合政府を作り、ロン・ノルに対抗 *1 |
| 1975年4月 |
:ベトナム共産党の支援を受けたインドシナ共産党連合勢力がプノンペンを制圧。 |
| 1976年 |
:インドシナ共産党の一派であったポル・ポト率いるクメール・ルージュが、内部抗争の末ポル・ポトを首相とする『民主カンボジア』を樹立。その後、クメール・ルージュによって200万人以上とも言われる大虐殺が行われる |
| 1978年 |
:ベトナムがカンボジアに侵攻 *2 |
| 1979年1月 |
:ベトナムの支援を受けるヘン・サムリン率いるカンボジア救国民族統一戦線がプノンペンを制圧。『カンボジア人民共和国』の成立を宣言。クメール・ルージュはジャングルに逃げ込む |
| 1982年7月 |
:クメール・ルージュ、シアヌーク国王派、クメール人民民族解放戦線(ソン・サン議長)の3派は『民主カンボジア連合政府』を樹立し、ヘン・サムリン政権との内戦が続く。 ヘン・サムリン政権を「ベトナムの傀儡」とするアメリカやタイなど国際社会は3派連合を支援。 |
| 1989年9月 |
:ベトナム軍がカンボジアから完全撤退 |
| 1991年10月 |
:パリ和平協定(カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定)成立。4派による内戦終結 |
| 1993年5月 |
:パリ協定に基づき、UNTAC(国連カンボジア暫定機構)の管理のもと総選挙実施 |
| 1993年9月 |
:新憲法公布。『カンボジア王国』発足。シアヌーク国王即位。国王がラナリット第一首相(シアヌーク国王の息子)、フン・セン第二首相を任命 |
| 1994年7月 |
:KR(クメール・ルージュ)非合法化法成立 |
| 1996年8月 |
:ポル・ポト派の分裂 |
| 1997年3月 |
:クメール国民党のデモへの手榴弾テロ発生 |
| 1997年7月 |
:首都プノンペンにて、ラナリット第一首相とフン・セン第二首相の私兵の間で武力衝突発生。日本人を含む100人以上が死傷。ラナリット殿下、パリへ逃亡。 |
| 1998年3月 |
:ラナリット殿下帰国 |
| 1998年4月 |
:政府軍、クメール・ルージュ拠点を制圧、その後ポル・ポト氏死亡 |
| 1998年7月 |
:総選挙実施 |
| 1998年11月 |
:ラナリット殿下は国会議長に、フン・セン氏は首相に就任(新政府成立) |
| 1999年3月 |
:タ・モックKR(クメール・ルージュ)元参謀総長逮捕 |